危機は改革の必要条件
この議論の難点は、一種の戦略的敗北主義に近いことだ。
事態がもっと悪くなることを積極的に望む、行くつくところまで行けば良くなるかもしれないという考えであるからだ。
そう、「すべて焼き尽くせ」というというモットーは許しがたい。ほとんどの場合、危機は危機でしかなく、改革の序章ではない。
さもなければ、アルゼンチンはとっくの昔に経済を建て直していただろう。
だが、危機は改革の十分条件ではないとしても、必要条件にはなっていることを筆者は指摘しておきたい。
失うものが多い有権者が十分に多く存在するために、現状をほんのわずか調整するだけでも物議を醸す問題になる高所得国には、この点は特によく当てはまる。
英国もそうだ。
もしカーター氏の人生と時代を詳細に勉強すべき政治指導者が今日いるとしたら、それはキア・スターマー首相その人だろう。
カーター氏と同様に、スターマー首相はいいアイデアを持っている。
カーター氏が有名な「マレーズ(沈滞)スピーチ」を行った時と同様、現状に対するスターマー氏の厳しい認識は、少なくとも首相がどれほど大きな改革が必要か理解していることを示している。
だが、将来の大きな利益のために多少の損失や混乱を近々負担してもらうよう有権者に呼びかけるや否や、首相はそっぽを向かれてしまう。