「経団連会長=重厚長大企業経営者」の不文律
経団連が発足したのは終戦間もない1946年。戦後の復興こそが当時の日本にとって最大のテーマであり、産業界の要望を政治に反映させるために設立された。1970年に高度成長がひと段落するまで、日本の産業とは鉄鋼や自動車、電機などの重厚長大産業とほぼ同義で、インフラをつくり輸出によって外貨を稼いだ。その中心にあったのが経団連だった。
当然、会長人事はそれを反映したものとなり、その結果、経団連会長=重厚長大企業経営者が定着し、やがて不文律となった。
現在の十倉会長までの歴代15人の会長を見ると、製造業が13人を占める。残る2人は、3代会長で前職が経団連事務局長だった植村甲午郎氏と7代の平岩外四・東京電力会長だが、東電は日本経済のインフラそのものであり、植村氏は経団連設立にも関わった戦前の官僚だ。いわば重厚長大産業のインナーサークルだ。
高度成長が進むにつれ、日本ではサービス業などの第3次産業の比率が増えていき、1980年にはGDPの過半を占めるまでになる。同年、ダイエーは小売業として初めて1兆円を超え、その前年には経団連入りを果たしている。
それでも、1980年に第5代経団連会長に就任した稲山嘉寛・新日本製鉄会長は、「小売業は産業ではない」と発言している。自分たちこそが日本経済を支えているという強烈な自負と、第3次産業を見下す差別意識がそこにはあった。それが経団連会長人事を今日まで縛り続けてきた。