高校野球がなければ大谷の「二刀流」はあり得なかった?

 ここで、少し視野を広げてみよう。前述の①〜③の批判が当てはまりそうなスポーツは、サッカーだけではない。

 たとえば野球だ。日本の高校野球は、甲子園という巨大なトーナメント戦を中心に回っており、しばしば勝利至上主義と批判される。このような高校野球のあり方は、少なくともアメリカでは考えられないし、世界的に見てもかなり特殊といえそうだ。では、日本の野球はガラパゴス化していて、世界の趨勢から大きく取り残されているかというと、そうではない。野球では、日本は間違いなく世界屈指の強豪国なのである。

 2023年のWBCで、日本チームがアメリカを破って優勝したことも記憶に新しい。その立役者となったのは、投打において活躍した大谷翔平選手であるが、彼のような二刀流選手は、日本の高校野球がなければ決して生まれてこなかったであろう。

2011年8月7日、第93回全国高校野球選手権大会、2日目1回戦、帝京対花巻東、4回表から2番手で登板し力投する花巻東・大谷翔平(当時)写真/スポニチ/アフロ

 データと合理性を重んずるアメリカ流の選手育成システムでは、(少なくともこれまでは)二刀流はありえなかった。それどころか、日本のプロ野球選手は、ほぼ例外なく全員が高校野球の経験者なのである。

 こんな話をすると、「サッカーと野球は違う」と笑うサッカー通が出てくるだろう。であるなら、筆者は次のような事実を指摘しなければならない。サッカーの先進国では、大学のサッカー部がプロ選手を輩出するなどありえないが、三笘薫は大卒なのである。

2018月4月29日、JR東日本カップ、関東大学サッカーリーグ戦の筑波大・三笘薫(当時) 写真/アフロ

 いや、三笘だけではない。現在の日本代表でいうなら、伊東純也・谷口彰悟・町田浩樹・守田英正・旗手怜央・古橋亨梧・大橋祐紀なども、大学サッカー部の出身だ。

 サッカー先進国ではありえない部活による育成がガラパゴスだというなら、20歳をすぎた学生による大学サッカーなど、ガラパゴスの極みというしかない。しかし現実には、世界で通用する選手を多く輩出しているのである。

 加えて指摘するなら、高校サッカーの強豪校からJリーガーに進む選手は少なくないし、彼らの中からJリーグ屈指の選手に育ったり、日本代表に入る者も珍しくない。ジュニア~中学生世代までJクラブの下部組織で育ったものの、Jクラブユース(高校世代)のセレクションに落ちたために、高校サッカーの強豪校に進む生徒も少なからずいる。高校サッカーは、しばしば彼らの受け皿としても機能しているのだ。だとしたら、仮に高校世代の育成システムをJクラブユースに収斂させたならば、少なからぬ高校生たちが道を閉ざされてしまうのではないか。

 筆者は本業が歴史なので、どうしても技術・文化と社会との関係性に目が行ってしまう。そうした視点から思うのは、サッカー先進国であるヨーロッパや南米と、後進国である日本とでは、そもそもサッカーと社会との関わり方が違うのではないか、ということだ。

 そうした社会との関係性の違いを考慮せずに、先進国へのキャッチアップだけを指向しても、うまく行かないのではないか。サッカー先進国へのキャッチアップ達成率が上がることと、日本がサッカーの強豪国になることとは、イコールではないはずだ。

 日本の場合、近代化してゆく社会がスポーツをどう受けいれるかという歴史的な流れの中で、高校や大学の部活としてのスポーツが大きな役割を果たしてきた。その結果として、いまサッカー少年たちの前には選択可能な複数のルートが開かれている。だとしたら、高校・大学サッカーはすぐれたプロ選手となるための、バイパスルートとしての役割を果たしていることを、積極的に評価してよいのではなかろうか。

 高校・大学サッカーを、ヨーロッパのサッカー界が持っていない、日本独自のユニークな特徴=強み、として活かすことも有用な戦略であるように愚考するのだ。