米国の原子力規制委員会と同様の規定を
防潮堤がずれるといっても、完全に崩壊する可能性は低いだろう。また、水が侵入したとしても、原子炉建屋も防潮壁で覆われているほか、多様な電源が整備しており、過酷事故に至らないように何重にも対策を打ってある。
現行の原子力規制委員会の方針は、防潮堤の中は「ドライ」でなければならない、つまり水が一滴でも入ってはいけないということだ。
これは典型的な「ゼロリスク」の発想である。ゼロリスクを追い求める限り、コストは無限にかかる。「現行の防潮堤を利用して早期に再稼働すること」と、「防潮堤を新たに作り直すまで再稼働しない」ことの間で、その便益とリスクを冷静に見極めるべきではないか。
合理的な判断を実現するためには、原子力規制委員会を含め、原子力規制に関わるあらゆる法律や組織に、「リスクと便益を比較衡量すること」を義務付けるべきだ。
原子力発電が生み出す安定した電力を安価に享受する権利が国民にはある。これを著しく損なうような規制はすべきではない。
米国の原子力規制委員会では、この「電力の安定安価な供給を受ける国民の権利」と「規制当局がリスクと便益を比較衡量する義務」がはっきり規定してある。日本の原子力規制委員会についても同様の規定を設けるべきだろう*5。
*5:岡芳明・東京大学名誉教授と筆者の対談動画「東電福島事故の避難のリスク・便益分析」より
はっきり規定されていれば、原子力規制委員会は、事なかれ主義からゼロリスクの罠に陥ることがなくなる。そして、電力の安定・安価な供給を妨げていると見做されれば、それが訴訟の対象になるから、合理的な規制のあり方を追及するようになるはずだ。