「国民と苦楽をともに」という皇室の揺るぎない在り方をひたむきに実践
愛子さまと言えば、幼い頃は雅子さまの後ろに隠れるような、人見知りでおとなしい女の子であった。
学習院初等科の卒業式では、報道陣から感想を求められたが、恥ずかしかったのか、答えることができなかった。ところが、翌月の学習院女子中等科の入学式では、報道陣の前で、お隣の雅子さまが小声で何か話しかけるフォローもあって、愛子さまは「(中等科での日々を)楽しみにしています」と初めてお気持ちを述べることができた。
毎年恒例の那須御用邸での夏の静養時には、那須塩原駅前に到着され際、集まった多くの人たちから「愛子さま~」と歓声があがり、一瞬、表情が止まって戸惑った様子を見せられていたものだ。
愛子さまご本人も、こうした引っ込み思案の性格については自覚されている。
「小さい頃から人見知りのところがございますので、これから頑張って克服することができれば、と思います」(成年の記者会見)
実は、就職されてから公務をされる中で、愛子さま自身、意識的に人見知りを克服しようと、積極的にいろいろな人と接している場面を数多く目撃する機会があった。
ケニア大統領夫妻を招いた宮中での昼食会では、現地の言葉であるスワヒリ語で挨拶し、英語で積極的に会話をされた。また9月に両陛下と訪れた那須塩原駅前では、出迎えた人々に自ら近づいて笑顔で話されていた。春と秋の園遊会や、文化勲章の受章者らを招いて5年ぶりに開かれた茶会でも、話題を提供され話を弾ませていらっしゃった。
日本赤十字社に勤められるようになってから、いろいろな立場の人と出会って、自分の考えをきちんと伝え、相手の考えを聞くという業務を連日行ってこられたことから、自然にコミュニケーション力を高められ、以前の人見知りの性格をかなり克服されているのだと思う。
こうして振り返れば、お正月の震災から春の卒業と就職、そして初めての単独公務と、愛子さまが報じられる機会は、学生だった頃に比べて倍増したと言ってもいい。
愛子さまの日常をつぶさに見ることはかなわないが、その思いの発露としての記者会見や文書回答と照らし合わせると、多くの時間を「国民と苦楽をともにする」という、上皇陛下から天皇陛下へと受け継がれてきた皇室の揺るぎない在り方を、ひたむきに実践されてこられたように思う。
三笠宮妃百合子さまが薨去され、弔問した愛子さまの喪服姿には、皇族としての矜持を胸に、活躍されてきた日々と多くの学びと成長が、堂々たる存在感となって醸し出されていたように見えたのは、筆者の主観ばかりではないはずだ。
敬宮愛子内親王殿下の23歳からの一年後、来年のお誕生日には、天皇皇后両陛下が目を見張るほどのご成長を見せてくれることだろう。
【つげ・のり子】
放送作家、ノンフィクション作家。東京女子大学卒。ワイドショーから政治経済番組、ラジオ番組まで様々な番組の構成を担当する。2001年の愛子内親王ご誕生以来、皇室番組に携わり、現在もテレビ東京・BSテレ東「皇室の窓」で構成を担当。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)などがある。日本放送作家協会、日本脚本家連盟会員、日本メディア学会会員。西武文理大学非常勤講師も務める。