年の差カップルの偉人たち

63歳年下の少女に結婚を申し込んだゲーテ

 ドイツを代表する文豪で、小説『若きウェルテルの悩み』、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』、叙事詩『ヘルマンとドロテーア』、詩劇『ファウスト』など広い分野で重要な作品を残したヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)。

 彼は80歳の時、湯治場で63年下の17歳の少女ウルリーケ・フォン・レヴェツォーに生涯最後となる熱烈な求愛をする。

 ゲーテは1823年、ザクセン=ヴァイマル国・アイゼナハ国連合の君主ザクセン・ヴァイマル大公に仲介の労をとってもらい、彼女に正式に結婚を申し込む。

 だが、ウルリーケは、「これからもよいお友だちでいましょう」と、はぐらかし、やんわりと拒絶している。

 この失恋による落胆から、彼は長編小説の傑作、『マリーエンバート悲歌』を書き綴った。

 ゲーテは死ぬ間際、召使のクラウゼに、「窓を一つ開けてくれ、もっと光が入るように」と言った。

 ゲーテ最期の瞬間、彼は右の人さし指で空中に何か文字を書いた。それは少女ウルリーケ(Willkommen)の頭文字Wの字だった。

 森鷗外は、『ギヨオテ傳(ゲーテ伝)』(富山房刊:1913)で、このゲーテの臨終場面を紹介すると、「もっと光を!」との目的語が、日本で流行語となる。

 ゲーテの死後、ウルリーケは独身を貫いた。

 彼女は自身が亡くなる直前に、ゲーテの恋文を銀の盆の上で燃やすと、その灰を銀のカプセルにつめ、「私の棺の中に入れるように」と言い残している。