父親に「庭にある桜の木を切ったのは誰か」と詰問されたワシントンはたじろぎもせず「お父さん、僕は噓をつけません。僕が噓をつけないことはお父さんもよく分かっていますよね。私の斧で桜の木を切りました」と答える。少しは申し訳なさそうにしろよとツッコミたくなるが、父親はワシントンの姿に感動し、「わが息子の英雄的行為は、銀を咲かせ純金を実らせるような何千本の木にも優るものだ」と褒めた。

 今では「作り話」として広く認知されているが、ワシントンが庭の桜の木を切ったのは事実ではある。1785年8月18日の日記に「中庭にある2本の桜の木を切った」と記されている。「桜の木伝説は全くの噓ではなかったのか」と驚かれるかもしれないが、注意が必要だ。ワシントンは1732年生まれである。1785年には53歳になっている。53歳のおじさんが桜を切り倒しても何の教訓も生まれない。ちなみに、ワシントンの幼少期に米国に桜の木はなかった。

大統領退任の2年後には死没

 ワシントンは1789年に57歳で大統領に就き、1797年に65歳で退く。その2年後に67歳で亡くなっているので、大統領退任後の人生は短い。

 今の時代、米国の大統領はリタイア後も自伝を書いたり、講演したりで経済的に困窮することは少ないが建国初期の政治家は大統領になったがために生活苦に陥った人も少なくなかった。大統領官邸に関わる経費、個人秘書の人件費などはすべて自分で負担しなければならなかったからだ。

 初期大統領の中で、金策に追われた晩年を過ごしたのは、第3代大統領のトマス・ジェファソンだ。彼は公費を自分で立て替えるのに加え、人々をホワイトハウスで盛んにもてなしていたため2期8年の退任時には2万ドルの負債があった。

 大統領の年俸はワシントンの頃から2万5000ドルに決められていた。七面鳥1羽が75セントの時代だから決して安くはないが全ての公費を賄うとなれば高くもないだろう。

 ジェファソンはワインに目がなく、在任8年でワインのツケだけで1万1000ドルになったという。食べ物にもお金を惜しまなかった。一日当たりの食費は50ドル程度だったというから単純計算すると年俸の7割以上を占める。