J・D・バンスの変節
この変化を体現しているのが、トランプの副大統領候補であるJ・D・バンスの政治的な変節だ。
9週間前の指名受諾演説では、真の米国はケンタッキーの墓地にある7世代の家族の墓に見つかると言った。
彼らの米国は先祖がそのために戦い、命を落とした場所としての理念ではない。「人は抽象的なもののために戦わないが、家のためには戦う」とバンスは言った。
バンスの演説の驚くべき要素は、妻ウーシャ・バンス(旧姓はチルクリ)の移民の過去に関する微妙なフレーズではなかった。
結局のところ、トランプの妻のうち2人は移民だ。また、トランプがかつて嘘と描写した米国例外主義に触れなかったことでもない。
驚くべきは、2016年のベストセラー「ヒルビリー・エレジー」で自分のルーツについて綴ったことをバンスがひっくり返した度合いだ。
バンスはあの当時、自分が一緒に育った人たちが施しとフードスタンプに頼る苦しい生活を送っているのは自業自得だと考えていた。
「我々は必要もない家を買い、生活費のために家のローンを借り換え、破産申告し、多くの場合、自分たちが去った後にゴミの山を残す」と書いた。
「節約は我々の存在に反している」
あれから8年経った今、同じ人たちが、バンスがかつて自分自身が「学んで身につけた無力さ」と呼んだものではなく、外部の勢力の犠牲者だと主張している。
彼は自己を疑うタイプのリバタリズム(自由至上主義)を露骨な民族的ナショナリズムと交換した。
どちらも一貫性があるが、正反対の世界観だ。
バンスの変節を促したのは、トランプが排外主義的な世界観を抱いているという事実だった。
米国人を問題の張本人として描くより犠牲者として描写した方が格段に多くの票を獲得できる。
バンスの唐突な変節は、過去8年間で共和党に起きたことを象徴している。