国をあげて後押ししてきたが…

 燃料電池車は80年代から基礎研究が行われ、90年代には米カリフォルニア州の州都サクラメントに、CaFCP(カリフォルニア・フューエル・セル・パートナーシップ)という共同事業体が設立され、トヨタ、ホンダ、日産自動車、ドイツのメルセデス・ベンツ(当時ダイムラー)、アメリカのGM、韓国ヒョンデなどが共同で量産に向けた公道実験を行うようになったのだ。

 日本でも2000年代に入ると政府肝入りの次世代技術に関する政策のひとつとして注目された。

新型クラウンシリーズの報道陣向け発表会の様子。手前が「セダンFCEV」。トヨタではFCEV(フューエル・セル・エレクトリック・ヴィークル)と呼ぶ(写真:筆者撮影)

 首相官邸で、小泉純一郎首相(当時)や、安倍晋三・内閣官房副長官(当時)らが、トヨタやホンダの燃料電池車プロトタイプに試乗している。

 その後、2015年に日本車として初の量産型燃料電池車「MIRAI」が発売されたタイミングで、国は水素社会実現に向けたロードマップを公開するなど、2015年を「水素元年」と呼んで普及に向けた施策を強化した。

 具体的には、全国各地での水素ステーション設置に補助金を設定したり、地方自治体でMIRAIを公用車として購入したりする動きが広がった。

 その後、菅政権ではグリーン成長戦略、さらにその内容を進化させた岸田政権でのGX(グリーン・トランスフォーメーション)施策の中でも、燃料電池については自動車業界のみならず、さまざまな利活用が想定されている。

 こうした過去約30年間、筆者は世界各地で燃料電池車に関する取材を続けてきたが、「燃料電池車はまだ、死の谷を越えていない」というのが実感だ。