アウシュヴィッツの「関心領域」

 この驚愕のやり取りを耳にして、私が思い出したのは、私自身の父親が、かつてシベリア抑留中に体験した「ソーセージ」の話でした。

 父は大日本帝国陸軍二等卒、最下層の兵士として昭和19年、学徒出陣で出征し「関東軍」に配属、満州に展開して昭和20年8月を迎えます。

 すると、予想もしていなかったソ連の対日参戦があり、押し寄せるかつて見たこともない兵器(生まれて初めて遭遇した戦車部隊)に蹂躙、圧倒され、捕虜としてシベリア奥地に油田開発の無賃労働力として移送され、「木こり」などの強制労働に従事させられました。

 1日に与えられる食糧は決まっており、非常に少量で、常に飢餓と隣り合わせの「シベリア抑留」。

 そんななか、よく太った女の看守が、厨房までは届けられる捕虜食糧のソーセージ入りのバケツを盗んで持って行ってしまうのだというのです。

 何とも悔しく悲しかったと、生前の父から聞かされ、子供心ながら非常に強く印象に残りました。

 父は私が小学1年の時に亡くなりましたが、もう少し学年が進み、ナチス・ドイツについて調べたことがありました。

 そこで、悪名高い「アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所」で所長を務めたルドルフ・フェルディナンド・ヘス(1901-47)の行状を知り、父がシベリアで経験した強制収容所と重なるものを覚えました。

 このヘス所長を描いた映画『関心領域(The Zone of Interest)』 は、第76回カンヌ映画祭でグランプリ、第96回アカデミー賞では国際長編映画賞ほかを受賞し、内外で様々な話題に上っています。

 兵庫県、斎藤知事の問題は、この「関心領域(The Zone of Interest)」に集約されていると言えるかもしれません。

 映画が問う「アウシュビッツの隣で幸せに暮らす収容所長の家族、彼らは悪なのか?」という問いは、軽いものではありません。

 普通、日本国内で発生する事件の大半は、これと比較することが困難です。しかし今回はすでに最低でも2人が亡くなっており、その張本人が「道義的責任って何ですか?」とうすらとぼけており、全く冗談になっていません。

「兵庫県庁の隣で幸せに暮らす知事の家族、彼らは悪なのか?」と問われれば、普通の人権感覚を備えた大人は、そんなことはない、という。

 でも、子供の社会に同じ前提が通じるとは限らないし、もし関係者が介在していたらなどと考えると、恐ろしくて想像する気にもなれません。

 でもそれが、2024年の日本で、兵庫県下で現実に起きている。