長嶋茂雄さんも、野村克也さんも、星野仙一さんも、みんな自分でやっているように見えていたし、落合博満さんは「ピッチャーのことは分からないので、すべて投手コーチに任せている」と公言していたが、それは例外だとばかり思っていた。

 ところが、いざ自分がやってみると、一球一球戦況が変わっていく目まぐるしい展開の連続に、毎日「差し込まれる」ような感覚を覚えていた。

「差し込まれる」という表現では伝わりにくいかもしれないが、要するに間に合わない。「監督、どうしますか?」「えっ、ちょっと待って」みたいな感じで、ずっと時間に追い立てられている感じがする。

 この程度の能力しかない監督は、考えること、選ぶこと、決めること、そういった項目をできるだけ少なくしなければチームは勝てない。あの頃はそれが分かっていなかったから、自分で言うのもなんだが、残念なことになってしまったわけだ。

 最近、チーフマネージャーと当時の話になって、こう言われた。「あのときはそもそも無理でしたね。監督、ひとりで全部やろうとして。そりゃ、無理だわ」って。こっちからしたら、いまさら言うなって感じだけど(苦笑)。

 1年目は自分で考えなきゃと思っていたが、余裕がなくてそれができなかった。

監督3年目、悩みながら過ごした監督時代だった。写真:高須力

 2年目は自分ひとりで考えるようにしてみたが、そしたらチームは最下位になった。

 3年目はひとりで考えることに疑問を持ちつつも、もう1年やってみた。そこでようやく分かった。

 やっぱり任せるべきなんだって。たったそれだけのことに気付くのに3年もかかった。自戒の念を込めていうが、やっぱり人にはどこかに驕おごりがあるんだと思う。

 そんな経験を経て、いまはピッチャー交代であれば厚澤コーチに、守備位置であれば白井コーチに、といった具合にほとんど任せている。

 勝負どころと踏んだ場面で、珍しく意見が割れたときなどは「悪いけど、こうさせてくれ」と押し切ることはあるが、それもそうめったにあることではない。

 そして、「任せないと、人は必死に考えてくれない」ということもよく分かった。

 ここ一番というところ以外は口を出さない、そう決めて我慢する。そうやって任せていると、本当にみんなが一所懸命考えてくれるようになる。

 どうせ監督が決めるんだから、と思っていたらなかなかそうはならないが、自分のせいで負けるかもしれないと思うからこそ必死になる。人間ってそんなものだと思う。

 コーチが「ピッチャーを代えましょう」と言った。代えたピッチャーが打たれて負けた。

 コーチが「守備位置をこうしましょう」と言った。変えた守備位置が裏目に出て負けた。

 その結果はコーチの責任ではない。それで行こうと決めたのは、監督なんだから。

 でも、それを提案してくれたコーチは、きっと自分のせいで負けたというくらい重く受け止めているはずだ。結果に対してそう感じるほどに必死に考えてくれることがチームとしては大切なのだ。