大谷翔平の二刀流、侍ジャパンにおけるWBC優勝。監督として輝かしい実績を誇る栗山英樹だが、ファイターズ時代はつねに悩みながら、監督としてどうあるべきか、どう接するべきか、どう勝たせるべきかという試行錯誤を繰り返していた。

 9月9日には、そんな監督時代のすべてを網羅した848ページにわたる新刊『監督の財産』を刊行する。

 今回は本書の中から特別に、指導者について考えていた2015年に記していた内容を紹介する。

任せないと必死に考えてくれない

(『監督の財産』収録「4 未徹在」より。執筆は2015年11月) 

 監督1年目に優勝した。2年目に最下位になった。そのてっぺんからどん底まで落ちた要因には、自分自身のことも挙げられる。

 新人の年は必死にやろうとしていたけれど、あまりにも分からないことが多過ぎて、結局はコーチたちに頼らざるを得ない状況だった。監督はお飾りみたいなもので、経験豊富なコーチの言うことに「そうしてください」とゴーサインを出すばかりだった。

 それが2年目になると、少しばかり周囲のことも見えるようになってきて、すべてを自分でやろうとした。コーチングスタッフが大幅に入れ替わり、未経験のコーチが増えたことも、気負いに結びついたのかもしれない。

 ピッチャー交代から守備位置の指示まで全部やろうとしていた。それでも自分としてはなんとかこなしているつもりだったが、きっと試合の展開に追いついてなくて、ことごとく判断が遅れていたんだと思う。

 野球というスポーツは、そういった指示のわずかな遅れが致命傷になるケースも少なくない。それで落としたゲームもひとつやふたつじゃなかったはずだ。

 実は取材者の立場だったキャスター時代には、全部監督がやっているものだと思っていた。