愛悪の念頭、最も藻鑑を累わす。(言志録四○)
【意味】好き嫌いという考えが頭にあると、人物鑑定を間違えるもとになる。

 僕が以前より、三原脩さんや野村克也さんに学んできた「先入観」に対するものの考え方は、「好き嫌い」という言葉に置き換えてみると、より日常生活にも当てはまりやすいのではないだろうか。

 客観的なデータは検討材料にすべきだが、そこに好き嫌いという感情的なものを持ち込んでしまうと、どうしても人を見誤るケースが出てきてしまう。人を起用し、配置する立場にある場合、特にそれは禁物だ。

 プロ野球では対戦相手の選手を評価するときにも、それは気を付けなければならない。選手の好き嫌い、つまりやりやすい相手か、やりにくい相手か、それを主観的に捉えていると、致命的な判断ミスの原因になりかねないからだ。

 ちなみに去年(2012年)、ファイターズのスタメン(打順)は、実に93通りもあったらしい。その数字を聞いたときは、そんなにいっぱいあったのかと、さすがにちょっと驚いた。レギュラーシーズンの144試合で93通りだから、かなり頻繁に組み替えていたことになる。

 打順については、本当は固定したほうが前後のバッターの考え方がわかりやすいので、選手はやりやすいはずだ。だが、打順が変わることで、良い意味での緊張感が生まれたり、役割が変わることで、なにかが打開できたり、メリットも少なくないと考えている。

 それらを踏まえた上で、この選手は1番タイプだとか、2番タイプだとか、そういった先入観を捨てて、積極的に組み替えた結果が、93通りという数字になったということだ。

 およそ教は外よりして入り、工夫は内よりして出づ。内よりして出づるは、必ずこれ外に験し、外よりして入るは、まさにこれを内に原たずぬべし。(言志後録五)
【意味】知識は外から入ってくるもので、工夫は自分の内から出るものである。内から出たものは外で試して、検証すべきであり、外から得たものは、自分なりに正否を検討すべきだ。

 解説テキストには、同義の教えがいくつか紹介されている。

 中国の春秋時代の思想家である孔子と、その弟子たちの言行を記録した『論語』には、「学びて思わざれば即ち罔し。思いて学ばざれば即ち殆うし」という言葉がある。「学んだことは考えてみる、自分で考えたことは知識を補いなさい」ということだ。

 また、明の時代の思想家である王陽明は「知行合一」を唱えた。「知識と行為は一体である。真に知ることとは、行うことである」というものだ。

 学んだら、考えてみる。考えたら、実行してみる。その先にしか答えはない。

<中略>

 人おのおの長ずる所あり、短なる所あり。人を用うるにはよろしく長を取とりて、短を舎つべく、自ら処するにはまさに長を忘れて以て短を勉むべし。
(言志晩録二四四)
【意味】人にはそれぞれ、長所と短所がある。人を使う場合、その長所だけを見て、短所は見ないようにするのがよい。しかし、自分がなにかをなす場合には、自分の長所は忘れ、短所を改め、補うように努力すべきである。

 人の長所と短所については、いつも考えさせられることが多い。

 ある人に、こんな言葉をいただいた。