妻の海外駐在が決まった時の反応――激しい葛藤に見舞われたケース

 一方、結論をすぐに出せなかった人たちは、同行するかしないかで激しい葛藤に見舞われた。自らが築き上げてきたキャリアとの兼ね合いをはじめ、周囲からの賛否両論、家族の存在など複数の要因が、心の中で激しくせめぎ合っていた。

 柴田さんは、国外赴任が2度にわたって決まった妻への同行を2回とも拒否し、その都度妻は赴任を断念していた。しかし、3度目の赴任話が持ち上がると、これまでとは異なり、心が揺れ、葛藤が深まっていた。

 (妻の海外赴任が決まった)1回目、2回目は、断りました。奥さんも出世していたけど、私もそれなりに、実は出世していたので、男としては上に上がりたいというところです。そう簡単には諦めたくないなと思っていたので。
 1回目はさすがに子どもが小さすぎるからダメでしょって。2回目は自分のキャリアもまだ道半ばで、踏ん切りがつかなくて。ただ、最後3回目のときに奥さんに「私がもう仕事を辞めるか、米国に行くか、どちらかに決めさせてほしい」って言われたので、そこまで言うならと思って、いろいろ悩みました。
 (妻の赴任話を2回断った後の赴任話は、私にとって)3度目の正直でした。(その時は初めて)上司に相談しました。結構尊敬していたので。その上司に言われたのが「ここからお前がいくら出世しようと、部下の人数が増えるだけだぞ。それよりも、広い世界を1回見てきたらどうだ?」みたいな話になって。
 いろいろ悩みがあると、相談していたメンターのような上司です。その人に言われるんだったら、それもありなのかなと思うようにもなりました。(キャリア中断に対する)不安はありましたけど。その上司が言うんなら、なんとかなるだろうと思って。(柴田さん)

 一度は同行を決断した山本さんは、その後、妻への対抗心が湧き上がり、単に同行するのではなく、キャリアダウンにつながらないような他の選択肢を真剣に考え始めた。

 無意識か意識的かともかく、ディペンデンシー(依存関係)を減らしたかったんです。自分でも海外に行こうと思えば行けた、という状態をつくった上で、「でも一緒に行く、付いていく」という、状態にしたかったんです。
 他のオプションも並行して考えました。1つ目は日本に残る、あるいは(渡米を)ちょっと遅らせるみたいな考え方ですね。もう1つは、同じタイミングでスペインに留学しようかということを考えました。
 当時、他の会社から「日本に残りつつ、海外でも働くみたいなことができないか」とも誘われていました。留学を考えたのは、渡米しても、すぐ良い仕事が見つからないんじゃないかっていう気持ちが結構あったからです。あとは、駐夫みたいな立場に多少抵抗があったというのもありました。
 一番考えたのは、仕事のグレードダウンですね。日本でやっていた仕事に結構誇りを持っていて。仕事のスケールとか、やっている内容もすごく個人的には面白かったし。大変だったんですけど。
 アメリカで働いても、給料面とかポジション面とか仕事の内容面で落ちてしまうんじゃないかなっていうのは最も感じた不安というか、リスクでした。(山本さん)

 勤務していた会社に愛着を感じるようにまでなっていた佐藤さんは、仕事を辞めることに逡巡を重ねた。当時はまだ会社に同行休職制度がなかったためだ。

 行くか行かないか、すごく迷いはありました。辞めて行かなきゃいけないっていうのがありましたね。ずっと新卒から入った会社で10年近くやってきたので、そこを辞めるっていうのはすごく勇気がいりましたね、当時。実際考えたことはなかったので、いざ辞めるかもしれないって思ったら、その選択肢は、なんだろう、なかなか取れないかなって思いましたね。
 でも、妻が留学実現に向け、頑張っているのをよく見ていたし。それを、僕が仕事を続けたいからっていう理由で、せっかく得た権利を捨てさせるのはちょっと、懐の深さが足りないかなと思って。行きたかったら行かせてあげたいなと(考えるようにもなりました)。その後、子どもを授かり、育休制度活用の道が開けました。(佐藤さん)