妻の海外駐在が決まった時の反応――肯定的に受け入れたケース

 彼らは日頃から、お互いのキャリア形成について妻とよく話し合っていた。共働きを続けるために、妻のキャリア形成を持続させようと、自分は何ができるのかということを考えていた。そうしたなか、彼らに対し、妻の海外駐在話が持ち込まれる。

 男性たちは全員、妻から海外志向であることを以前から聞かされていた。そのため、驚きを持って受け止めた人はいなかった。とはいえ、「駐在が決まりそうだ」、「○○への赴任が決まった」と実際に打ち明けられたとき、冷静に受け止めた人もいれば、困惑した人もいた。良いきっかけになると肯定的に捉えた人と、自分のキャリアとの兼ね合いから、すぐには答えを出せなかった人と、大きく2通りに分かれた。まずは、前者から見てみよう。

 会社に休職制度があるのは調べていて(妻の話が決まったら)いつでもレディーの状態でした。ネックは、何もなかったですね。一通り仕事をやり切った感もあって。忙しくて、責任も非常に重くて。ミスったら、本当に何十億円というお金が吹っ飛ぶような仕事なので、プレッシャーも強いし。
 息抜きしたかったっていうのもあるし。海外に行くのなら、英語を勉強するいいチャンスだなと思ったし。人生の休憩がほしかった感じですかね。
 仕事は一生懸命やっていたんですが、どこかで「もう疲れたな」と思っていたんですね。環境を変えたいと思っていた時期でした。それが転職かもしれないし、渡米かもしれないし、会社を辞めて独立するのか。少なくとも、当時の会社で部長や本部長になりたくないと思ってました。(水沼さん)

 割と、即決でした。今の仕事をずっと続けるのかなっていうモヤモヤは、ずっと抱えていて。ただ、子どもが生まれて、マンションを買ってっていうなかで、積極的に転職するっていう気にもなっていなかったので。
 そのなかでそういう話だったので、これは良いきっかけになりそうだなっていう思いがあって。今の仕事を続けることに飽きちゃったっていうか。先が見えちゃったっていうのもあったので、一旦辞めちゃっていいかなっていう(思いでした)。子どものためにも良い機会じゃないかと思って。
 それと、「帯同しなかったら、僕は家の中でどういうポジションになるんだろう」ということも考えました。妻は結構バイタリティがあるので、文句も言わずに全部一人で家事をやってしまう人間なんです。付いてこないということになれば、離婚を突き付けられていたかもしれません。アメリカに行って、無理矢理にでも、家事を僕が一手に引き受けたほうがいいと思いました。(藤原さん)

 私自身、結構単身赴任の期間が長かったんですけど。妻がワンオペ育児で、だいぶ参っていたということもあったし。僕としても申し訳ないっていう思いがあったので、どこかで罪滅ぼしじゃないですけど。そういう妻がバリバリ働くっていうのを後押ししたいなと思ってました。
 あと、記者の仕事をこのままやっていくのかなっていうのは若干揺らいでるところがあったので。外に出て、今の仕事から離れてみてもいいかなと思ったので。自分としても良いきっかけかなと思いました。もちろん不安もあったんですけど。(沢村さん)

 配偶者の海外赴任という人生における大きな転機、ライフステージの変化を迎えつつあるにもかわらず、それほどの抵抗を感じることもなく受け入れた彼らの共通点として、何かしら環境の変化を求めていたという点が挙げられる。

 これまで第一線で働き続けてきたものの、仕事に対する燃え尽き感、やりきった感がにじみ出ており、精神的・肉体的な疲労が蓄積していた。自らを充電するための期間を心のどこかで求めていた人、業界や会社の将来性に対する先行き不安を抱きながらも、毎日の仕事をこなしていた人がいた。

「妻が海外に行くみたいなことでもないと、自分の仕事を含めて、結構抜本的に見直すっていうのは(なかなか難しいですよね)。生き方というか、働き方を含めて見直すのには大きなきっかけになりました。それまでは忙しすぎて、そんなことを考える時間がありませんでしたから」と大野さんが話したように、配偶者が物理的に、しかも海外に異動することになったという強い決定事項を突き付けられてみて、初めて自らのキャリアを考え直し、行動の変化を促された。

 逆に言えば、そうしたことでもない限り、目の前のレールを走り続けることになりかねないという、男性たちの深い闇のようなものが垣間見えるのではないだろうか。

 子どものためにも良い機会となると考えていた人もいた。インタビューした男性たちの子どもは、全員が小学生以下だった。幼少期に海外で暮らすことで、日本とは異なる文化や慣習があり、多くの人種で構成されている国があることを知り、日本を相対化することができる。日本の良いところ、悪いところを子ども心にも理解してもらえたらという親としての思いもあった。英語をはじめとする言語習得に、大きな期待を寄せた人も多数いた。