カイロ大学は実質的“共犯者”
もし内部の記録も完璧に書き換えられ、小池氏が卒業したということになっていれば、カイロ大学の今の幹部らは、それに従って「卒業した」と答えるしかない。
小池氏がカイロ大学2年に編入したのは1973年10月で、その前の一年間はカイロ大学に行っていないことは、北原百代氏が物証(手紙)によって明らかにしている。ところが、カイロ大学は、小池氏は1972年10月に1年生として入学したとしている。事実とまったく違うカイロ大学の説明は、彼らの内部記録が書き換えられている可能性を示している。
また小池氏は自著『振り袖、ピラミッドを登る』の中で「1年目は落第した」と述べている。その結果、早くても1977年にならないと卒業できない。しかし、カイロ大学は、小池氏は1976年に卒業したとしている。これは小池氏自身の著書の内容とも真っ向から食い違っており、やはり書き換えの可能性を示唆する。
大学幹部らには小池氏を卒業したことにしたい別の動機もある。対外債務の返済負担にあえぐエジプトにとって、日本は主要援助国の一つで、援助獲得が至上命題の政権にとって非常に重要な国である。もしカイロ大学が、日本の有力政治家の卒業を否定したりすれば、エジプト政府から大学幹部がどういう処罰を受けるか分からない。
筆者が取材した際、カイロ大学の当時の文学部長アフメド・シェルビーニ氏は、「カイロ大学では2年前から小池氏に関する書類を出す場合は学長の承諾が必要になった」と述べた。通常ルートで正々堂々と卒業したのであれば、このような承諾は要らないはずだ。またカイロ大学の職員の1人は「小池氏の件は、政府の上層部が関与しているのではないかと思う」と話した。