「受領」は官人にとってのご褒美

——同じ位であっても、平安時代の前半と後半では、暮らしぶりや待遇なり生活が全く変わってしまうんですね。

 たとえば、紫式部のお父さん、藤原為時は10年間も無官ですから、その間どうやって生活していたのかなと心配になりますし、越前守になって4年間勤めたけれど、あんまり成績が良くなくて、その後もまた8年ぐらい無官です。ちゃんと功績がないと次の仕事はない。そうするとどうやって生活費を得ていたのかなって他人事ながら心配になります。 

 奈良文化研究所の推定では、奈良時代ですと従五位の下で年収が大体2000万ぐらい、なおかつ屋敷は国からもらえます。下級官人は300万とか200万です。さらに下の写経生などになると、もっと低かったと思います。それでも多少は貰えたものの、とにかく官人の数が増えていきますから、全員を賄えるほどの国家の財政はないわけです。だんだん上の方しか給料がもらえなくなっていって、五位以上しかもらえなくなり、もっと後になると多分それもほとんどなくなります。

  官職に就くと多少は貰えるのですが、この頃の官位相当はかなり崩れてきていまして、よく事典なんかに「官位相当表」が載っていますが、あまり意味がないんです。官位相当をちゃんと貫徹しようとすると、その位に相当する官職を用意しなければいけないのに、それほど官職はないんです。

 そのため、多分六位の人がつくような官職だと、それほど給料は高くなかったと思います。彼らは所定の年数、真面目に勤めたらそのご褒美に「受領」と言って、地方の長官に申請する権利が得られます。たくさんの申請者の中から選ばれると、地方に行って4年間そこで仕事ができます。しかも10世紀以降は中央に租税を出した残りは私物化できるので、人によっては儲かるんです。

 紫式部のお父さんは多分あんまり儲かんなかったと思いますけど、人によっては儲かって、また中央に戻り、実績のあった人はまた違う国の受領になる。あるいは中央の官人になる、だめな人はまた無職になるという。受領になるというのは官人にとってはご褒美なんです。

 

『平安貴族列伝』倉本一宏・著 日本ビジネスプレス(SYNCHRONOUS BOOKS)