シベリアのトムスクからモスクワへの帰途、ナワリヌイは機内で急に意識不明の重体に陥ったのである。オムスクに緊急着陸したが、夫人やかれのチームは当局に妨害されて会えない(次の写真)。毒の痕跡が消えるまでの時間稼ぎだったといわれる。

ナワリヌイ氏重体の知らせを受け、病院に駆けつけたユリア夫人(写真:AP/アフロ)

 夫人の働きかけと、メルケル首相の受け入れもあって、やっと22日にベルリンの病院へ移送された。ドイツの医師は神経剤のノビチョクが見つかったと発表した。

 昏睡から覚めたナワリヌイは、ノビチョクを使われたと知って逆に驚く。というのもノビチョクというのはモスクワのシグナル化学センターで生産されていたもので、即プーチンと結びつく毒物なのだ。殺したかったのなら撃ち殺せばいいのに、かれらは「あほ」「ばか」「まぬけ」なのかと毒づくナワリヌイが、おもしろくもあり、タフである。

容疑者を8人に絞り込んだ

 オープンソースを駆使するオンライン調査機関べリングキャットの主任調査員クリスト・グロゼフは、当初ナワリヌイを「本当に後ろ盾がないのか」「ロシア政府が操るエセ反体制派の1人ではないのか」と疑っていた。かれが極右や民族主義者とも付き合っていたからだ。しかしかれの毒殺未遂事件を知って、独自に調査を開始する。

 クリストは電話、電子メール、免許証などあらゆる情報の膨大なデータベースを調べ上げ、その結果、暗殺実行犯の容疑者を8人にまで絞り込んだのである。その分析の手法は驚くべきもので、わたしは、世界はこんなことになっているのかと知って驚いた。クリストは、容疑者たちの顔写真も名前も住所も電話番号もすべて手に入れ、ナワリヌイと連絡を取ったのである。

 ここでナワリヌイとクリストは思い切った賭けに出た。ナワリヌイがドイツから容疑者たちに直接電話をかけ、単刀直入に、なぜおれを殺そうとしたのかと聞く、というのだ。このドキュメンタリーのハイライト部分である。まず「筋肉バカ」(FSBロシア連邦保安庁の軍人)3人に電話をかける。かれらは絶句し、とぼけ、すぐ電話を切る。

 そこでナワリヌイたちは方針を変え、関係者の偽名を使って今度は化学者に電話をかける。コンスタンチンという化学者が騙されて、もし飛行機が緊急着陸しなければ暗殺は成功したこと、毒物を仕込んだのはナワリヌイのパンツの縫い目だったことなど、暗殺の詳細をしゃべったのである。ナワリヌイのチームはそのすべてを録音し録画した。

 2020年12月17日、モスクワでプーチン大統領の年次記者会見が開かれた。内外の記者たちの前で、ひとりの記者がプーチンに問う。ナワリヌイが自身の毒殺未遂事件の調査結果を発表したが(この段階では、まだコンスタンチンの録音は公開していない)、なぜ警察は捜査しないのか。