エノケンこと榎本健一とアメリカのコメディアン、ハロルド・ロイド (1963年11月11日撮影) 写真/Fujifotos/アフロ

(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)

●日本が生んだ天才喜劇王・エノケン波瀾万丈の人生劇場(1)
●日本が生んだ天才喜劇王・エノケン波瀾万丈の人生劇場(2)

エノケン、ロッパ、金語楼、喜劇王の中の喜劇王

 戦前、日本の三大喜劇人とされたのが、エノケン、落語出身の柳家金語楼、声帯模写の古川ロッパの3人です。

 金語楼は明治34年(1901)、ロッパは同36年(1903)、エノケンが翌37年(1904)生まれと、ほぼ同世代の3人が笑いで鎬を削るという時代がありました。

 昭和10年代、日米開戦の同16年まではエノケンやロッパの名前が冠された映画が何本も製作され、「エノケン、ロッパの時代」と称されたようですが、下町対山の手、ダミ声と美声、軽快さと貫禄という2人の対照の妙が面白かったのでしょう、共演映画も製作されました。

 声色の天才、古川ロッパは文才もありましたが、如何せん、動きのある動作は苦手で活字とラジオ向きの人でした。

 70代以上の方にとってはNHKの『ジェスチャー』でおなじみだった金語楼はテレビ・映画以外にも放送作家として売れっ子でしたが、アクションとは無縁でした。

 ロッパも金語楼も自分の名前が冠された映画主演作がいくつもあります。ただし、人気も作品本数もエノケンにはとても及びません。

 浅草オペラで鍛えたエノケンこそ、歌って演じて動き回れる喜劇王の称号に最もふさわしいコメディアンだと言えるでしょう。

 一度耳にしたら忘れられない魅力を持った歌声、銀幕の中で縦横無尽に動きまくる機敏さ、大きな目玉をいかした愛嬌ある台詞回し、これらは登場してまだ日が浅かったトーキーの興行側にとって、エノケンはその申し子のようなありがたい存在だったはずです。