人が持つ気難しさの本質
中野:近年「社会不安障害」と呼ばれるものがあり、かつては「対人恐怖症」などとも呼ばれていたものですが、人と接することに大いにストレスを感じるタイプの人が一定数存在し、日本ではその割合がやや多いというデータがあります。かつて「対人恐怖症は国民病だ」とも言われていました。
脳の構造で言うと、脳には眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ)と扁桃体(へんとうたい)という場所があり、扁桃体は恐怖を感じる部分なのですが、この2カ所の連携が強いと「社会全般が自分にとって安全な場所か分からない」「どちらかというと恐怖の対象だ」という認知が起こるようです。
どうも、日本人にはこの部分の連携が強い人が多数派で、未知の人間関係に恐れを抱く傾向が強いと考えられます。私自身もそこに当てはまるのかどうか。少なくとも、他者をやすやすと信用するタイプでないことは確かです。
これは脳科学ではなく神話の話になりますが、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)にお隠れになる、という話がありますね。神様が自ら引きこもるというのは寓意的で大変興味深く、国民の多くが引きこもるという選択肢を考慮するというのもうなずける話です。ある有名な神社の宮司さんとお話をしたときに、全く同じことを考えていらしたので、とてもびっくりしました。
──読んでいて、気難しさというものが本書のサブテーマとして貫かれている印象を受けました。そこで、気難しさの本質は何なのかと考えてみると、拒絶するということでしょうか。
中野:「回避する」ということだと思います。衝突しないように回避する。
──回避する気持ちのさらに核心は恐怖心ですか。
中野:面倒くささです。合理性と考えてもらってもいいです。ぶつかると後処理が大変だからあらかじめ交わることを回避する。いちいちの衝突を処理するのは、馬力のある人なら可能かもしれませんが、私には衝突の後その処理に要する体力も気力もない。だから、ぶつかりそうな相手には最初から関わらない。そういう気難しさを自分の中にも感じています。
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