より残忍に“進化”する地雷

 話は遡るが、泥沼のベトナム戦争は1970年カンボジア国内に飛び火し、政府軍と反政府組織クメールルージュ(ポルポト派)との間で壮絶な戦いが繰り広げられた。内戦は1975年にポルポト派の勝利で終結したが、1978年に今度はベトナム軍がカンボジアに軍事侵攻し民主カンボジア政府(ポルポト派)を首都プノンペンから追い出した。

 西部バッタンバン州へとじりじりと追い込まれたポルポト派はベトナム軍の侵攻を食い止めるために大量の中国製地雷を埋めた。またベトナム軍も同様に地雷を埋めた。

 その地雷が後々に自国民の生活を脅かし、人々を苦しめることになったのだ。1989年、カンボジアには一応の平和が訪れたが、その後も地雷による犠牲者の数は増え続け、その数は累計で6万5000人以上といわれている。

 地雷は人間の悪知恵が作り出した兵器だ。原型の歴史は古いが、第二次世界大戦で対戦車の兵器として広く使われるようになった。対人として本格的に使われ始めたのはベトナム戦争の頃だ。当時、世界の各地で起きた内戦では大量の対人地雷が使われた。

 対人地雷にはいくつかの種類がある。ワイヤーに触れると爆発するクレイモア地雷、これは私も過去にカンボジアのポルポト派の支配地に仕掛けられたワイヤートラップの横を恐る恐る通ったことがあるが、かなり不気味だった。

 踏んだ瞬間に跳ね上がるジャンピング地雷。落ち葉に似せた落ち葉地雷。持ち上げた途端に爆発する除去防止地雷。どれも恐ろしい。また、地雷も進化し10m離れた所の往来を感知して爆発するタイプもあると聞いた。人間の悪知恵の進化は限りなく続く。

リハビリセンターで義足歩行訓練をする南スーダン人たち(写真:橋本 昇)リハビリセンターで義足歩行訓練をする南スーダン人たち(写真:橋本 昇)
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