2025年に改正される年金制度をめぐり、これから議論が活発化する。今回の年金財政の検証では(2024年)、コロナ禍の影響で健全性が悪化しているとの見方が多くなっている。新型感染症の影響で出生率が極端に低下し、少子高齢化が加速しているからである。年金受給者を支える就労人口が、長期的に減少するならば、収支の悪化は避けられないと言えよう。
年金制度はわれわれの老後の生活を左右するだけに、その将来像に無関心なままではいられない。その際、そもそも年金とは何か?どのような歴史的経緯をたどってきたのか?という年金の原点を整理しておくのは意味があるのではないか。以下では、簡単に年金の歴史を振り返ってみたい。
(平山 賢一:東京海上アセットマネジメント チーフストラテジスト)
年金の歴史は失敗の歴史
われわれは、年金といえば、政府が老後の生活を支えてくれる制度のことだと漠然とイメージするだろう。わが国だけではなく、世界各地でも、就労を終えた人々に年金が給付される仕組みが出来上がっているからだ。
老後の生活の糧を得るのは現代に限るものではなく、人類が誕生して以来、大きな関心事であり続けている。年金の歴史は、人類の歴史と言ってもよく、古くて新しいテーマであると言えるわけだ。
この経緯をうまくまとめた書籍として、右谷亮次氏の『企業年金の歴史』(企業年金研究所、1993年)がある。同書の冒頭は、次の言葉から始まる。
「年金の歴史は失敗の歴史である」
実に刺激的なフレーズと言えまいか。右谷氏は、「年金は人間の能力を超えた政策」であることを、その理由として挙げる。その上で、それを証明するように古今東西の失敗の事例が書き連ねられていくだけに、実に説得力がある。以下では、同書を参考にして、これから改正を迎える年金制度の原点を探ってみよう。
ベートーヴェンも、年金受け取りの約束があったにもかかわらず、なかなか払ってもらえずに苦労した事例が紹介されている。これは意外な事実かもしれない。
かの有名な交響曲第五番「運命」を捧げられたロプコヴィッツ侯爵など3人の貴族たちは、ベートーヴェンに年金を与えることを約束していた。年金をもらえるという約束の下で作曲された交響曲が、「運命」であったわけである。