秀吉が天下を統一する拠点とした大坂城(大阪城)

 NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第33回「裏切り者」では、徳川家康が羽柴秀吉と正面から対決した「小牧長久手の戦い」が、織田信雄と秀吉の和睦によって終了。徳川勢の外交役として石川数正が秀吉のもとに通い交渉を重ねるが、家康の家臣団の中では孤立していき……。今回の見所について『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

『徳川実紀』では家康に舌を巻く秀吉だったが…

 前回の放送では、徳川四天王(酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政)の活躍によって、「小牧長久手の戦い」での序盤戦を制した家康たち。『徳川実紀』は江戸幕府の公式史書なので、家康をことさら賛美する傾向があるが、家康らにしてやられた秀吉が言ったとされるセリフが書かれており、この内容がなかなかすごい。

「誰が徳川を海道一の弓取といったのか。ほとんど日本一ではないか。唐・天竺にも古今、これほどの名大将がいたとは思えず、戦術の巧みさは全く私のおよぶところではない」

 秀吉はどれだけ家康を褒めるのか。もちろん、秀吉がこれほど手放しに家康を絶賛するわけがなく、誇張だろう。

 確かに序盤では、秀吉側についた池田恒興と池田元助の親子、そして、森長可らを見事に討ちとってはいるが、そこからは一進一退。秀吉は作戦を変更し、大将である織田信雄の領土を集中的に落としていく。その結果、天正12(1584)年11月、秀吉と信雄との間に和睦が成立することとなる。

『徳川実紀』によると、家康は信雄に泣きつかれて「信長とのよしみがあり、どうして見捨てることができましょうや」と腹を決めて、兵力で勝る秀吉と一戦を交えることになった。それにもかかわらず、信雄が勝手に和睦したことで、梯子を外される格好となったのだから、たまったものではないだろう。

 今回の放送回では、秀吉と信雄の和睦を知らされた家康が、床に拳を叩きつけて「勝手なことを!」と感情を露わにしている。

 家臣たちの気持ちも同様で、とりわけ板垣李光人演じる井伊直政は、旧武田の部隊を引き継いで大活躍しただけに「長久手にて勝利を収めたのは我らであるのに、なぜ和睦せねばならん!」と、激しい怒りを見せた。家康側からすれば「ふざけるな」と思うのも無理はないだろう。

 もっとも信雄からすれば、天正12(1584)年9月の段階で、いったん和議の話が秀吉側から出たが、家康側に戦う意思が強かったため決裂したという経緯がある。負けが込んできたことで、信雄は「あのとき和睦しておけば……」と、家康の判断に疑いをもったのかもしれない。