大井川鉄道の蒸気機関車C11形227号機。現在は「きかんしゃトーマス号」に姿を変えて運転が続けられている(写真:池口英司、以下も)

静岡県を走る大井川鉄道は、昭和40年代から観光鉄道という性格を前面に打ち出し、利用喚起に力を注いできた。1976(昭和51)年の夏に全国で初めて蒸気機関車の動態保存運転を実現させ、認知度アップにつなげている。しかし、そんな大井川鉄道も、2022年9月の台風15号による被害で一部区間の運休が続くなど、近年は経営の厳しさが増している。各地のローカル線への逆風が強まる中、同社が目指しているものは何なのか。「名物広報」として知られる同社の山本豊福さんに聞いた。

(池口 英司:鉄道ライター・カメラマン)

車社会の到来を見越して始めたSLの動態保存

──日本が「車社会」と言われるようになって、ずいぶん時間が経ちました。鉄道を始めとする公共交通は、運営の厳しさを増しています。大井川鉄道は、どのような方向を目指しているのでしょうか。

山本豊福・大井川鉄道広報担当(以下、山本):当社は1976(昭和51)年7月9日に、蒸気機関車(SL)の動態保存運転を開始して、多くのお客様に喜んで頂いています。けれども、SLを運転したからといって、それだけで鉄道は黒字にはなりません。鉄道の維持が厳しさを増しているのは、当社にとっても同じです。

 日本に「車社会」が来る。それは私たちがSLの動態保存運転を始めるよりも早く、昭和40年代には、すでに予見できていたことです。だからこそのSLの運転でもありました。

大井川鉄道で30年にわたり広報を担当している山本豊福さん。近年は「名物広報」として、マスコミに取り上げられることも多い

 もちろんこの時点で、SLの運転がどれだけの経済効果を生むのか正確に把握できていた人はいなかったでしょう。けれども実際に運転を始めて、やり方を工夫すれば事業として継続できることが理解された。その結果として、今日までSLの運転が続けられたのだと思います。

──もちろん、SLの運転が開始された昭和50年代の初頭と現在とでは、社会の構造もずいぶん違っています。

山本:昭和40年代、50年代というのは、まだ鉄道の生活利用者、つまり、通勤、通学、あるいは買い物などに利用する人が少なからずいた時代でした。それは当社でも同様です。

 それから時間が経って、今は当社の路線でも定期券を利用している人が本当に少なくなっている。今になってそのことに気が付いたような論調もありますが、それは予見できたことです。