暗殺にまつわる説は50以上もある「本能寺の変」
織田信長が家臣である明智光秀に討たれた「本能寺の変」は、日本史における最大のミステリーといってよいだろう。一体、光秀はなぜそんな謀反を起こしたのか。研究者のみならず、歴史家、作家、歴史愛好家など、様々な人がその背景を探ってきた。
その結果「諸説あり」どころではなく、実に50あまりの説があるともいわれており、今なお、新たな説が打ち出されている。
大別するならば、まずは、明智光秀の「単独犯説」。光秀が一人でやったというものだ。単独犯であったとしても、その動機について、天下をとろうとしたのか、突発的だったのか、以前から恨みを抱いて計画していたものだったのか……など議論が尽きない。
そして「主犯・黒幕存在説」。誰か別に主犯、もしくは黒幕がいたのではないかとする説だ。最も疑わしいのが羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉である。
「中国大返し」と語り草になるほどすさまじいスピードで、備中高松城(岡山県岡山市北区)から山城山崎(京都府乙訓郡大山崎町)まで帰って来て、すぐさま光秀を討ち、その後の覇権を握っているのだから、あまりにうまくいきすぎている。疑われる要素だらけといってもよいだろう。
そのほか、明智光秀の家臣である斎藤利三や、徳川家康などの名も挙げられている。朝廷が黒幕だったとする説もあるくらいだ。
もちろん、正解などないので、大河ドラマでは、どの説をとるのかも見所の一つとなる。だが、今回はなかなか予想しがたい展開だったのではないだろうか。