2000年代に、東日本大震災と同じような大津波をもたらした平安時代の貞観津波(869年)の研究が急速に進んだ。東北電力は、その成果を取り入れて、女川原発(宮城県女川町)に襲来する津波の想定をやり直し、2008年秋には国に提出する報告書をまとめていた。

 東電は、東北電力と同じように貞観津波を計算すると、福島第一原発の敷地を越えてしまうことを2008年11月に知った。そこで東電は、東北電力に報告書を改ざんさせ、貞観津波の対策が不要であるように見せかけることにした。

 そんな対応策を決めた東電の会議のトップは、吉田だった。彼の部下が東北電力に圧力をかけて報告書を書き換えさせたメールが裁判に証拠として提出されている*2(写真)。

東電は東北電力に圧力をかけ、津波想定報告書を改ざんさせた。左が元の報告書、右は「東電に配慮した報告書」。東北電力社員が東京地検に供述した調書から
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*2 東北電力・田村雅宣氏の供述調書(東京地検)2012年12月21日分 資料18(PDFのp.64-81)
https://database.level7online.jp/items/show/72

吉田の異動直後に津波対策チームが発足したが…

 2009年夏、貞観津波の研究者は「今から調査をしても無駄だ。先に対策をした方がいい」と吉田の部下に伝えた*3。ところが東電は、「専門家から特段の意見は無かった」と国に虚偽の報告をしている。

 日本原子力発電の東海第二原発(茨城県東海村)は、東電が先送りした大津波への対策を2008年から進めていた。敷地に盛土したり、建屋に水が入らないようにドアを取り替えたりしたほか、非常用ディーゼル発電機が津波で使えなくなっても最低限の電力を確保できるように、海抜22mに新たに設けた発電機からケーブルを原子炉建屋につないだ。これらの対策のおかげで、東海第二は事故をぎりぎり避けている。

 吉田の部下は、東電内にも津波対策を推進するチームを作るよう2009年6月に進言していた*4。しかし吉田の配下のGM(グループマネジャー)が却下する。別の部下は「なんで早く進まないんだろうなとちょっとフラストレーションがたまるような感じでした」と証言している*5

 東海第二との開きに危機感を持った吉田の部下は、対策チームの設立をもう一度提案し、吉田が異動した直後の2010年8月に、ようやく発足した。しかし7か月後の事故には間に合わなかった。

 結局、吉田が津波担当の部長をしていたころ、東電の津波対策は他社に大きく後れをとった。経費削減を優先して津波対策の先送りを決めた役員と、津波対策は不可避と考えていた現場の社員たちの狭間で、吉田は何を考えていたのだろう。

*3 添田孝史「『事故前、対策をとるべきだと伝えていた』専門家証言 東電株主代表訴訟、証人尋問はじまる」Level7news 2021年3月12日
https://level7online.jp/2021/0312/

*4 東京電力社員・高尾誠氏の証人尋問調書(第6回)2018年4月11日 PDFのp.31から津波対策の新組織の提案について述べている。
https://database.level7online.jp/items/show/71
文中の指定弁護士資料はこちら
東電高尾誠氏に示す証拠一覧
https://database.level7online.jp/items/show/63

*5 東京電力社員・金戸俊道氏の証人尋問調書(第18回)2018年6月20日 PDFのp.104
https://database.level7online.jp/items/show/80