3月11日のマグニチュード9の地震発生から、原子炉3基の建屋が爆発、3基が炉心溶融を起こして大量の放射性物質を周辺に撒き散らした後、なんとか冷却できる目処が立った3月終わりごろまでの状況を8話で描いている。いかにも日本的な組織構造のもとでも、吉田所長と現場は頑張ったんだ、事故対応に大きな間違いは無かった、と思わせる構成になっている。

 しかし事故直後の対応をいくら掘り下げても、それだけで事故の真実にたどり着けるわけではない。

吉田が東電本店の部長当時、東電の津波対策は遅れた

 たとえば東日本大震災で津波に襲われた原発はほかにもあるのに、なぜ東電だけが事故を起こしたのか、シリーズ8話を見終わってもわからない。

 事故を起こさなかった原発と福島第一原発では、事前の備えが大きく異なっていたためだが、その備えの差が生じた意思決定の場にも吉田は主役の一人として深く関わっている。それが『THE DAYS』が触れていない「もう一つの顔」だ。

福島第一原発事故当時、現場で対策の陣頭指揮を執っていた吉田昌郎氏(提供:TEPCO/アフロ)

 吉田は2007年4月に東電本店の原子力設備管理部長に就任している。津波や地震を想定したり、対策を進めたりする業務も担当している部署だ。2010年6月に福島第一原発所長に異動するまで約3年3か月の同部長時代に、吉田が何に関わっていたか振り返ってみよう。