失脚説も飛び交うロシアのプーチン大統領(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

プリゴジン氏の「暗殺指令」を取り下げた背景

 結局この男は何がしたかったのだろうか──。6月23日、ロシアの民間軍事会社(PMC/実態は傭兵組織)「ワグネル」の創設者プリゴジン氏は、子飼いの傭兵部隊と戦車を従え、ロシアの首都モスクワに進軍し、武装反乱を企てた。

 だが、当初狙っていたとされるショイグ国防相とゲラシモフ・ロシア軍参謀総長の拘束計画は事前に漏れた。急ごしらえの示威行動だったらしく、形勢不利と悟ったプリゴジン氏は首都まであと200kmのところで進軍を中止。「プリゴジンの乱」は1日足らずであっけなく終了した。

モスクワに進軍し、武装反乱を企てたプリゴジン氏(写真:Wagner Group/ZUMA Press/アフロ)

 激怒するプーチン大統領は当初、「裏切り者」プリゴジン氏の逮捕・捜査を厳命。加えて一説には以下のような内部組織に暗殺命令を発令したとも言われる。

・FSB(連邦保安庁/旧KGB=国家保安委員会の後身で秘密警察。国内治安を担当)
・SVR(対外情報庁/同じく旧KGBの後身。海外でのスパイ活動を担当)
・GRU(連邦軍参謀本部情報総局/軍の情報機関)
・国家親衛隊(実質プーチン氏の直轄部隊。国内治安を担当)

 ところが、プーチン、プリゴジン両名と昵懇のベラルーシのルカシェンコ大統領が間に入り、一応プーチン氏は捜査の終了と暗殺指令を取り下げ、プリゴジン氏のベラルーシへの亡命も容認した。

 これが「プリゴジンの乱」の顛末だ。「ウクライナ侵略戦争が予期せぬ苦戦に陥る中、ワグネルごときの内輪揉めにエネルギーを使うのは得策ではない。ひとまずプリゴジン氏を泳がせておこう」と、プーチン氏や彼を取り巻く軍・情報機関を指す「シロビキ」の最高幹部たちによる「大人の判断」も働いたようだ。

 ロシアの政治権力は事実上シロビキが牛耳る。軍事・治安・情報関連の実力部隊を持つ省庁のコミュニティであり、大統領のプーチン氏を筆頭に、これら省庁のトップからなる「安全保障会議(CSRF)」がシロビキの最高意思決定機関で、いわばプーチン氏の“お友達クラブ”だ。