(英エコノミスト誌 2023年7月1日号)

プーチン後のロシアには動乱が訪れるのか

ロシア大統領に近い派閥は「プーチン後」の生き方を思案している。

 ウラジーミル・プーチン氏は1999年末にロシアの大統領代行に任命された後、ソ連崩壊後の最初の10年を「スムータ・ヴレーミャ」になぞらえた。

「動乱時代」という意味で、ロシア史では16世紀の終わりから17世紀の初めにかけて一揆や飢饉、外部からの侵略などが相次ぎ、ロマノフ家が台頭するまでの時期のことを指す。

 プーチン氏は、ロシアで初めて民主的に選出された大統領ボリス・エリツィンは動乱時代の「ツァーリ(皇帝)」だったボリス・ゴドゥノフに当たり、自分は新しいツァーリの系統の始まりに当たると述べた。

 そして国家の安定と繁栄、復興を約束した。

ワグネルの武装蜂起

 時は流れて2023年6月24日、武装した民兵の一団が猛烈なスピードでモスクワに迫ったことを受け、その約束は――とうの昔に破られていたとはいえ――これまで以上に破綻しているように見える。

 凶暴な軍閥エフゲニー・プリゴジン氏に率いられたワグネルの傭兵たちは、ロシアが占領したウクライナ領を出てからヘリコプター数機と軍用機1機を撃ち落とした。

 殺害したロシア兵は20人前後に上る可能性がある。

 怒り心頭に発したプーチン氏は再び歴史を持ち出し、1917年に第1次世界大戦の戦地から兵士が舞い戻ってきたこととその後の「内戦の悲劇」に言及した。

 しかし、今度はボリシェヴィキ革命の亡霊を呼び起こしてしまったためか、ロマノフ朝の初代皇帝ではなく最後の皇帝のような雰囲気を漂わせるようになっている。

 プリゴジン氏はいろいろな意味でプーチン氏の創造物だった。

 刑務所を出てからサンクトペテルブルクでレストラン経営に乗り出し、プーチン氏がそこで客をもてなしたのがきっかけだった。

 やがて、傭兵を集める事業に手を染めた。

 クレムリンが「自分たちは関係ない」ともっともらしく否認しつつアフリカ各地やシリアに兵士を送り込めるようにするためだ。