坂本龍一氏(写真:2017 TIFF/アフロ)

(黒木亮・作家)

 坂本龍一氏が死去した。一般の日本人にとって氏は、YMO時代にテクノポップやニュー・ウェイブでブレイクし、その後、多彩で幅広い音楽ジャンルへと活動の場を広げ、アカデミー賞を受賞した世界的音楽家という認識だろう。

 一方、筆者のような出版関係者にとっては、伝説の編集者と呼ばれた坂本一亀(かずき)氏の息子というイメージも強い。

 尖った印象の細面や額に垂れる長髪が一人息子龍一氏によく似た一亀氏は、音楽とは関わりのない文学の世界の人だった。

 しかし、仕事に妥協を許さず、徹底して独自の高みを目指していく龍一氏の生き方や、子ども時代から独りで何時間もピアノを弾いても平気だったという集中力、孤独を好む性格などは一亀氏譲りである。

伝説の辣腕編集者

 また龍一氏の自由な発想や海外志向は、様々な作家が父親を訪ねて来た実家の芸術的な雰囲気の中で育まれた部分もあるだろう。

 坂本一亀氏は、1921年(大正10年)福岡県甘木市(現・朝倉市)で生まれ育ち、日本大学国文科に入学。1943年に繰り上げ卒業し、学徒出陣で満州の前線に派遣された。現地で終戦を迎え、復員するまでの3ヶ月間は、通信兵として働きながら小説を読みふけっていたという。

 復員翌年の1946年9月、地元で中学時代の友人とガリ版刷りの同人誌を創刊。翌1947年1月、河出書房の元社員の紹介で上京して同社に入社し、新人発掘に力を注ぐ辣腕編集者として頭角を現していった。