もし当初からウクライナ全土の征服を企図していたのであれば、約200万人の予備役の全面動員を開戦時から行っていたはずである。

 しかし動員は2022年9月になりようやくかけられ、それも戦闘経験のある約30万人のみの部分動員であった。

 ここにも、プーチン大統領のできる限りロシア軍の兵員の損耗を少なくして、当初の戦争目的を達成しようとする意志がうかがわれる。

 スロヴィキン総司令官が火力消耗戦法を採った背景には、このようなプーチン大統領の政治的意向があったと思われる。

 特に、少子化が進んでいるロシアにおいては、戦死者が多発すれば、それが母親を中心とする市民の反政府感情に火をつけ、政権すら危うくなりかねないことを、チェチェン紛争などで体験しているプーチン大統領としては痛感しているはずである。

 死傷者を最小限に止めながら、当初の戦争目的を達成することが、プーチン大統領の一貫した戦争指導方針とみられる。火力消耗戦法はそのような政治的要請にも適った戦法であったと言えよう。

 またスロヴィキン総司令官は、ウクライナ軍に消耗を強いるとともに、ロシア軍を過広な正面に展開して背後に回られて包囲殲滅される危険を避け、自軍の兵力規模に適した防御正面に河川障害などの地形を利用して再編し、無理のない展開正面に縮小するという作戦もとっている。

 ヘルソンもハリコフ州も、ロシア軍はウクライナ軍に敗退し壊乱状態で撤退したわけではない。

 ロシア軍の撤退後には、遺棄死体、遺棄兵器、捕虜など、部隊の組織的戦闘の崩壊を示す兆候は遺されていない。ロシア軍が計画的に後退作戦を行い、態勢を建て直したとみるべきであろう。

火力消耗戦の実態とその威力

 バフムート守備兵力は開戦時には、約4万人程度だったが、その後ロシア軍の攻勢が強まるにつれ、2022年秋には約6万人に増強されたとみられている。

 その際に増援部隊を差し出したのは、南部正面に集結していた約3万人の予備隊主力であった。

 ウクライナ軍としては、クリミア半島と東部ドンバス地区をつなぐ陸橋の要衝マリウポリを奪還し、クリミア南部正面と東部ドンバス地区のロシア軍を分断するとの戦略的意図をもって、ザポリージャから南部に向けて、大規模攻勢をかける予定であったとみられる。

 しかし、バフムート防衛を最優先するとのゼレンスキー大統領以下の最高司令部の意図が働いたとみられるが、南部での攻勢よりもバフムート防衛を重視し、南部での攻勢戦力主力のうち約2万人がバフムート防衛に転用された。

 その結果、バフムートの守備兵力は約6万人に増強されたが、それに対して発動されたのが、スロヴィキン総司令官の火力消耗戦法であった。

 ロシア軍は、ウクライナ軍陣地に対し第一線部隊を過早に攻撃させて犠牲が出るのを避け、2022年10月以降、徹底的な火力消耗戦を挑んだのである。