「長崎に行っていました」と知人に不在だった理由を話すと、「どんな取材だったんですか」と尋ねられた。「ダム事業のために立ち退きを迫られている13世帯が座り込みを続けている現場です。計画されたときから半世紀以上が過ぎて、目的も失ったのに、長崎県がやめようとしない」と答えると、「そんなことがあるんですか」と驚かれた。あるんです。
工業用地はハウステンボスになり、ダムは目的を失った
半世紀前は佐世保市に工業団地を誘致することが構想されていた。1960年代、大量の水を必要とする重工業が伸びていた昭和の話だ。誘致は失敗。その用地から14キロメートル離れた隣の川棚町に計画された石木ダムは、その目的を失った。そして、ダム完成予定(1979年)は遠く過ぎ去り、その工業用地にハウステンボス(1992年)が開業した。
本来、重厚長大な企業が買うはずだった水は、佐世保市水道局が引き受ける計画になった。しかし、同水道局によれば、過去10年で「給水人口は22万5000人から21万4000人と1万人減った」。
1日最大給水量も1990年代には10万立方メートル(m3)だったが20年間で7万m3に減少。市は2020年代前半にV字回復すると予測。その予測が外れると2030年代にと下方修正した。しかし、実績との乖離は激しくなる一方だ。
「治水」の目的は、国の補助金を引き出すために、どの利水ダムでも掲げられる。石木ダムも例に漏れず、総事業費285億円のうち125.83億円が国からの治水のための補助金だ。長崎県営ダムにもかかわらず、県負担は92.5億円に過ぎない。佐世保市の利水負担分は66.67億円だが、関連事業でそれは膨れ上がる。