自分に自信がないと「しない」人間が不快に

 7の「誰の悪影響も受けない」というのは、それが「悪」かどうかは知るのがむつかしい。しかしたいていの場合、「みんながやっているから」という理由でやることは、あまり喜ばしいことではない。本人もそのことは薄々わかっているのだが、「だってみんなやってるではないか」という理由がその後ろめたさを消してくれると思っている。

 かつてドコモのCMで、大竹しのぶが高齢者向けの携帯電話をもって、「みんなはじめてますよ」というのがあった。「みんな」という言葉を使ったソフトな脅迫である。

「みんな」がやっていることをしない、ということは案外楽ではない。余計なお世話なのに、なんでやんないの? とかいわれてしまうのだ。「する」多数の人間は、自分たちは多数勢力だということに力を得て、「しない」少数の人間を下に見る。

 しかし「する」自分に自信がもてないと、「しない」人間がいることで自分が否定されていると感じ、不快になる。だから仲間に引きずり込もうとする。それができなければ無視し、排除しようとするのである。

 こういう「しない」10か条が意味を持つのは、たいていの人が、いつまでも失敗にこだわり、嫌々ながらネガティブな人とだらだら付き合い、自分の言動に自信がなく、だからこそ相手に謝罪だけは執拗に求め、自分を憐み、他人を恨み、簡単に世の風潮に流され、そのくせ匿名で人の批判だけし、なにをやっても三日坊主で飽きやすく、過剰に悲観的になりがちだからである。

 つまり、そんな自分に甘え放題という人が多すぎるのだ。

「自分の考え」を持つことが必要

 人はしても自分はしない、ということを貫き通すためには、自分なりの考えや決め事(原則)が必要である。原則といってもべつに大げさなことではない。

 サッカーの長谷部誠選手は、「僕は愚痴を言わないようにしている」といっている。なぜなら愚痴は「何も生み出さないし、まわりで聞いている人の気分も良くない」からである。たったこれだけでも立派な原則だ。これは2の「ネガティブな人とは付き合わない」と関連する。長谷部は、自分が「ネガティブ」な人間にならないと決めたのである。

 かれはまた、酒を飲むとその人間の本音を引き出せる、という風潮を好まない。「お酒の力を借りないと本音を言い合えないという関係がそもそも嫌だし、そんな状態で出てきた本音に価値を見出せない」という。その他、「僕はITの恩恵を最小限に受けつつ、あえてアナログ的な時間の過ごし方を大事にしていきたい」ともいっている(『心を整える。勝利をたぐり寄せるための56の習慣』幻冬舎文庫)。

 サッカー技術もさることながら、長谷部選手は自分の考えをはっきり持っているのであり、だからこそかれはドイツサッカー界で信頼され、独自の地位を築いているのである。