激戦が続くウクライナ東部ドネツク州の要衝バフムト(写真:ロイター/アフロ)

「ウクライナ対ロシア」の構図で語られることの多いロシアによるウクライナ侵攻。だが、「プーチンの戦争」として始まった戦争も、ロシアの計画通りに進まなかったため、「欧州の戦争」へとその姿を変えつつある。北大西洋条約機構(NATO)の関与が深まるとともに、欧州全域への影響が増しているからだ。

『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』において、今回のウクライナ侵攻を様々な角度から論じた気鋭の国際政治学者、鶴岡路人・慶應義塾大学総合政策学部准教授がウクライナ侵攻における「語られ方(ナラティブ)」について分析する。

(*)本稿は『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(鶴岡路人、新潮選書)の一部を抜粋・再編集したものです。

 戦争が続くなかで、その「語られ方」はやはり重要である。それはまず用いられる言葉によって体現される。日々意識せずに使っている言葉でも、繰り返し接することによって刷り込み効果が生じることもある。この戦争の「語られ方」を意識的に考えてみたい。

 戦争においては、認識やイメージがやはり重要である。それらを合わせたものは「語られ方(narrative:ナラティブ、物語)」と呼ばれる。

 この観点でまず焦点となるのは、どちらが「悪い」のか、どちらが「正しい」のかである。「悪い」方は批判され、「正しい」方には他国や国際世論の支援が見込めるからである。とはいえ、国家間の戦争を想定した場合、通常は双方が自らの正しさを主張する。自ら悪者だと名乗り出る国はない。

 そうであれば、「悪い」と「正しい」をいかに峻別するのか。戦争であれば、「どちらが先に手をだしたか」がまず問われることになるし、すでに勃発してしまった戦争に関しては、「どちらがエスカレーションを招いたのか」が重要になる。

 今回のロシア・ウクライナ戦争に関する限り、侵略国と被侵略国は明確である。これほど明確な戦争は珍しいといってもよい。