空海は「吽」字の1文字の中に宇宙が洞察できると展開する

 密教は陀羅尼(ダラニ)を重んじる。

 陀羅尼とは呪文のことで、サンスクリット語ダーラニー(dhāraī)の音写である。

 種々な善なる法を能く持つから能持(のうじ)、種々な障りの法(悪法)を能く遮するから能遮(のうしゃ)ともいう。

 密教は加持や祈祷を実践する秘密仏教で、呪術により神秘の力を誘うものである。陀羅尼はただの呪(まじな)いや、気休めをする際に述べる言葉ではない。

 全宇宙の時間と空間、存在や現象がそこに畳み込まれているという秘密仏教独自の思想が含まれている。

 時間とは連続体で、実数で表せる現象や変化を認識する基礎的な概念である。

 だが、それは人類が意識したものの中で、最も身近でありながら、最も理解されていないものの一つとされる。

 フランスの哲学者、アンリ・ルイ・ベルクソンは「時計は時間ではない。人間が経験している時間というのは空間化された時間ではなく、純粋持続である」と指摘する。

「純粋持続」とは意識に次々と現れては消える感情や記憶が互いに溶け合い、流れて行くさまを指す。

「時は金(カネ)なり」「思い立ったが吉日」「石の上にも3年」「光陰矢のごとし」「急がば回れ」など、私たちは時間のありがたさを実感したり、効率的に動くことを意識したりする。

 では、時間とはいったい何だろうか。

 それは宇宙の基本的な構成要素なのか。科学は、いまも時間と空間の正体について解明できてはいない。

 量子力学には一つの空間に複数の次元が存在する「多世界」という説がある。そこには分岐時間が起点となっているという解釈がある。

 時間が無数に分岐しているとする時間観で、分岐後は無数の異なる時間の世界が同時進行しており、世界にはいくつもの時空であるパラレルワールド(平行世界)が存在するというのである。

 真言宗は言葉の神秘を突き詰めた教えである。

 それは真実の世界のありさまを観ようと試みる。音声と文字が真理を表す密教思想の「声字(しょうじ)」は単なる言葉ではなく、森羅万象や私たちが知覚する時間や空間、そして存在するものすべてに「声字」が詰まっている、という考え方である。

『吽字義(うんじぎ)』は空海が「声字」の神秘性を説いたもので、すべての存在が言葉で表現されるとある。

 だが、仮にその存在が言葉で存在し得ないものがあるとすれば、果してそれは存在しないものなのか。それとも隠蔽された、私たちが知覚できないだけのものなのだろうか。