父は親露派政権の初代大統領
18世紀から19世紀にかけて、チェチェン人はロシア帝国の南下拡大に抵抗しましたが、1859年、ロシア皇帝アレクサンドル2世の時代に、チェチェンをはじめとするコーカサス全域が併合されます。以降、ソ連時代も含め、チェチェン人はロシアに支配されてきました。
チェチェン人はソ連末期の混乱期の1990年、西側に隣接するイングーシ人(チェチェン人に近似する民族)とともに、ソ連邦からの独立を宣言します。翌年、チェチェン共和国とイングーシ共和国に分かれます。
しかし、ソ連は彼らの独立を認めませんでした。ソ連崩壊後のロシア連邦政府(エリツィン政権)もチェチェンの独立を認めず、軍事侵攻します(第一次チェチェン紛争)。1995年、ロシア軍がチェチェンの首都グロズヌイを制圧しますが、武装勢力のゲリラ闘争が続き、翌年、停戦で合意します。
その後も、チェチェンの武装勢力はモスクワで爆弾テロを繰り返しています。また、1999年、武装勢力はイスラム主義を掲げ、同じくイスラム教を信奉する隣国ダゲスタン共和国を併合するため、侵攻しています。
ロシアは武装勢力を放置することができず、1999年、チェチェンに軍事侵攻します(第二次チェチェン紛争)。この間、2000年にエリツィンからプーチンに、大統領が代わっています。
ロシアは2000年、チェチェンを再びロシア連邦内の自治共和国に戻し、カディロフ首長の父アフマド・カディロフを暫定政府大統領に任命し、チェチェンに親露派政権を形成することに成功しました。