主体元年は大正何年?
実は、1988年に崔徳新氏が自身の著書で主体年号の使用を提案した時、それに異議を唱えた人物がいた。それが姜錫崇氏である。姜錫崇氏は、崔徳新氏の主体年号は良い考えではあるが、金日成が生きているうちに使うのは相応しくないと考え、そのアイデアを保留させた。
そうするうちに、翌年の1989年に崔徳新氏が死亡すると、姜錫崇氏はそのアイデアを密かに心にしまっておいて、1994年に金日成氏が亡くなると、さも自分が考案したかのように主体年号の使用を提案したのである。
姜錫崇氏は主体年号を使うことに細心の注意を払った。金日成氏の三回忌であり、誕生85周年になる1997年を主体年号の使用日と決め、金正日氏に報告した。
「偉大な首領、金日成同志は、永遠に私たちとともにおられる」という、いわゆる「永遠の命」を提示して、金日成の三回忌が行われたあとすぐに捺印。1997年7月9日に、朝鮮中央放送を通じて主体年号の使用と、祝日「太陽節」(金日成の誕生日4月15日)の制定を公式化した。
この時、北朝鮮のメディアは「『主体年号』の使用は、首領様(金日成)の革命生涯と不滅の業績を永遠に輝かせ、党中央(金正日)の指導に従い、首領様の輝かしい革命偉業を継承し完成させるため、全党員とすべての人民軍将兵による抱負と念願の反映である」と報じた。
主体年号は、金日成氏が生まれた1912年を主体元年とするので、主体年に1911を加えれば、西暦になる。
例えば、「主体111年」なら、1911を加えて、西暦2022年になるわけだ。現在、北朝鮮では主体年をまず書いてから、括弧の中に西暦を書く方式で、すべての年が表記されている。つまり、「主体111年(2022)」と書く。
ここで興味深いのは、金日成氏の生まれ年を基準にした北朝鮮の主体元年と、中国の孫文によって中華民国が成立した民国紀元と、日本の大正元年がすべて1912年であり、まったく同じであるということだ。姜錫崇氏の緻密さを垣間見ることのできる部分である。