スマホの普及もあり、駅には時計が不要になるのか(写真:池口英司、以下も)

JR東日本がいま駅の時計の削減を進めている。設備の維持管理費を削減しようという狙いだ。確かに駅に時計がなくてもスマートフォンなどの普及で利用者が正確な時間が分かる時代となった。しかし、時間を正確に守って走る鉄道にとって時計はその象徴的存在であり、駅の時計の撤去には一抹の淋しさも感じられる。そこで今回は、「世界一時間に正確」ともいわれるようになった日本の鉄道が、ここまで運行時間を厳守するようになった経緯を振り返ってみよう

(池口英司:鉄道ライター・カメラマン)

時間に無頓着だった創業時の鉄道

 日本に鉄道が開業したのは1872(明治5)年10月14日のことである。ただし、新橋と横浜の間に初めての鉄道が開業した時の日本ではまだ太陰暦(旧暦)が採用されており、太陰暦ではこの日は9月12日となる。

 それまでの日本では1日を昼と夜に分け、さらにそれぞれを6等分して時間の目安としていた。「暮れ六つ」、あるいは「丑三つ時」などと呼ばれる、あのスタイルである。

 この方法では、季節によって「いっとき」の長さが変わり、もとより時計などない時代のことであるから(江戸時代の後期には、有力な大名などが1針式の時計を所有していたといわれるが)、当時の日本の時間に対する感覚は曖昧で、待ち合わせに遅刻することなど日常茶飯事であったという。

江戸時代に大名が所有していた時計

 そんな日本に、舶来の交通機関である鉄道が誕生した。

 鉄道はシステム全体が定められた時間に則って運営されなければ成立しない。列車が気ままに動いていては、衝突事故が発生してしまう。

 創業時の日本の鉄道は、お雇い外国人であるイギリス人技師の手によって建設が進められた(だから、日本の鉄道はイギリスと同じように左側通行を採用し、イギリスと同じように高いホームや改札口が作られている)。彼らは本国から持参した懐中時計を所有していたが、まだ日本人の間には時計が行き渡ってはいなかった。

 何より困ったのは利用者であった。