サハリンには、第二次大戦後、同地のとどまった残留韓国人とその子孫がいる(写真:ロイター/アフロ)

(ファンドビルダー:韓国人コラムニスト)

 終戦後、サハリンには40万人の日本人が存在した。ほとんどの日本人は段階的に引き上げていったが、当時、日本の統治下であった朝鮮半島の朝鮮人も、約4万〜5万人が住んでいた。だが敗戦後、サハリンの朝鮮人は日本国籍から除外され、3万人ほどが取り残されたという。

 最近、サハリン韓人協会およびサハリン州韓人離散家族協会などサハリンの韓国人団体が日本政府に対して、サハリン残留韓国人が韓国に帰国して永住するのに必要な費用を負担するよう要求した。

 この事実は、サハリンの韓国人団体が日本政府へのさまざまな要求内容を含んだ決議文を日本赤十字社に送付したという、7月4日の韓国マスコミ報道を通じて広く知られるようになった。

 多くの韓国人は今日、サハリン残留韓国人について、次のように認識している。

「日帝時代、5万人の朝鮮人が日本によってサハリンに連れて行かれ、炭鉱と軍需工場で働いた。日本敗戦後、彼らは帰国することができなくなり、そのまま残された」

 このような認識をベースに、日本政府と韓国政府は、1994年に「サハリン韓国人永住帰国事業」を推進することに合意した。この合意によって、日本政府は1995年から2015年までの21年間、サハリン残留韓国人が韓国に帰国して永住を希望する場合、その必要経費を全面的に負担した。

 日本政府がサハリン残留韓国人の永住帰国のために支援した内容は多様だった。サハリン残留韓国人の帰国のための旅費を支援しただけでなく、韓国に居住するのに必要な高層マンションも建設している。

 高層マンションは「故郷の村」という名称で、2000年当時、30億円に上る日本政府の支援金が投入され、京畿道安山に建設された。

 帰国を願わないサハリン残留韓国人が韓国への訪問を希望する場合には、航空料や貸切バスの利用料など、旅費と宿泊にまつわる各種便宜(宿泊用会館の建設)まで支援した。その結果、親戚との面会を口実に、サハリンと韓国を何度も往復することが可能だった。もちろん、日本政府の負担である。

 身体が不自由な場合は、利用する施設と看護ヘルパー費用まで日本政府が支援した。

 こういった活動に投入された日本政府の支援金は80億円以上になる。おかげで、21年間で約4500人のサハリン残留韓国人が韓国に永住帰国した。そのうちの約2800人は、現在も韓国に暮らしている。