自由で多様な生き方がより可能になる未来を目指している現代において、なぜか世の中が一丸となり、他人の不貞行為を断罪したがる風潮が以前にも増して強まっている。有名人は一撃でキャリアを吹き飛ばされ、政治家の不倫は時として国政を揺さぶる。
しかし、一般の人々はそんなに品行方正に生きているのか、週刊誌やワイドショーの編集部に不倫はないのか、表も裏も品行方正でなければ生きられない世の中など、本当に居心地がいいのだろうか。
不倫に走る人間の科学的な分析から、これからの結婚のあり方に至るまで──。『不倫と正義』(新潮新書)を上梓した、中野信子氏と三浦瑠麗氏に話をきいた。(聞き手:長野 光、シード・プランニング研究員)
※記事の最後に中野信子さんと三浦瑠麗さんの動画インタビューが掲載されています。是非ご覧ください。
不倫したことのない人だけで構成された編集部はありますか?
──近年、週刊誌やワイドショーなどで明るみに出る芸能人や著名人の不倫が、厳しく叩かれる世の中になってきたとの印象を受けます。不倫報道をめぐる「正義中毒」について教えてください。
中野信子氏(以下、中野):私たちは社会をつくらないと生き延びていけない生物です。つまり、自分よりも社会を優先する仕組みが個々の脳内に備え付けられています。
これは俗に「社会脳」とよばれる倫理の領域であり、ルールを破った人に対して制裁を加え、快感を得る形で社会脳は駆動されます。制裁を加えると、自分はあたかも社会正義を実践しているという錯覚が得られるので、喜びが非常に大きい。
社会性に基づいた快感を引き出すためのエサとして、ルールを破った人を皆に提供するという構造になっているのがメディアでもあります。
自分と関係のないルールを破った誰かを糾弾している時に感じてもらいたいのは、メディアのような構造の中に自分が組み込まれていると意識することです。「自分はエンターテインメントとして糾弾しているのではないか」という、メタ認知の眼差しを持ってほしいというのが私の願いです。
三浦瑠麗氏(以下、三浦):マスコミには、権力の監視や社会問題の提起など重要な役割はあります。ただ、バッシングしてもいいという雰囲気を作り上げ、全国津々浦々にそれをコミュニケーションしているという作用に自覚的であるべきです。
週刊誌や出版社の人たちには、自分たちは間違っていないという正義感がすごくあると思います。でも、不倫したことのない人だけで構成された週刊誌や出版社の編集部は、多分ないのではないでしょうか。
矢を向けられた人だけが審議対象になってしまい、それを大勢で良いところや悪いところを全部言い合うというのは、小学校で起きたいじめと一緒ですよね。人間に完全な善人はいないので、つるし上げを食らうことを自分の身に置き換えてみてほしい。
もう一つ、なぜ集団によるバッシングが起きてしまうのか。それは、公平ではないという感覚が人間の心にすごく刺さるからです。自分の日常に抱えている公平ではないという不満を、全然会ったこともない人の不倫報道に対しておっかぶせて、自分の不平不満をさらけ出す機会に使ってしまう。