「目の見えない」白鳥さんと「アートを見にいく」──。一見相反するタイトルだが、著者は全盲の美術鑑賞者、白鳥建二さんと日本全国の美術館を訪れ、多くの思わぬ気づきを得てきた。その鑑賞方法や白鳥さんとの交流、美術関係者へのインタビューを通して、私たちの感じ方と考え方は根底から揺さぶられる。
盲目の美術鑑賞者とおよそ2年間のアートの旅を経て著者が得たものは何か。『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』を上梓した、ノンフィクション作家の川内有緒氏に話を聞いた。(聞き手:岡島 千尋 シード・プランニング研究員)
※記事の最後に川内有緒氏の動画インタビューが掲載されていますので、是非ご覧ください。
──本書では、主に川内さんが全盲の白鳥さんと、20年来の友人で当時、水戸芸術館の教育普及の仕事をしていた佐藤麻衣子さんことマイティさんと一緒に全国さまざまなアートを見に行く様子が描かれています。白鳥さんと一緒に鑑賞することで、川内さんのアートを見る体験はどのように変わるのでしょうか。
川内有緒氏(以下、川内):白鳥さんと一緒に見るからこそ、自然と作品を掘り下げて見るようになりました。私たちが作品を見て、それを言語化し、その言葉を通して白鳥さんが美術鑑賞します。白鳥さんに伝えようとすればするほどきちんと作品を見ようとすることに気がつきました。
青といってもどんな青なのか、どんな形なのか、どんな表情なのか。一人で鑑賞していたら、一つの作品を見るのもせいぜい1~2分くらいですが、じっくり5分、10分と見ながら話をしていると、作品への印象が変わっていきます。これは一人ではできないことです。
また、それまでは自分の好みではない作品は飛ばしていましたが、マイティをはじめ他の同行者の興味や見解を知ることで、自分の好き嫌いや第一印象を超えて、思いがけない作品と出会えるようにもなりました。
みんなでその印象をランダムに話しているうちに、作品の核心に近づくというスリリングな体験になったこともあります。奈良に仏像を見に行った時の話です。
その日はワークショップ形式で、白鳥さんと作品を見ることに興味を持って集まった9人と一緒でした。興福寺の国宝館に展示される「木造千手観音菩薩立像」の前で、不謹慎ながら「食堂のおばちゃんぽい」という意見が出て、わいわい盛り上がって話していました。
そんな会話を聞いていた興福寺の僧侶さんに声をかけられ、「実は観音様は興福寺の食堂(じきどう)のご本尊だった」と告げられました。もはや驚きというよりも、なにか不思議なものに触れたような気持ちになりました。
白鳥さんとの美術鑑賞は、会話する喜びにつながっています。学芸員であり、考え方のリベラルなマイティと、白鳥さんと私。3人の美術鑑賞仲間で、美術館の帰りにビールを飲みながらおしゃべりをするのはとっても楽しい時間です。