(岡 信太郎:司法書士、合気道家、坂本龍馬研究家)
2022年(令和4年)3月12日、梅の花が香る京都霊山護國神社において、ある団体の総会が開催されました。その団体とは、坂本龍馬の精神を受け継ごうとする全国龍馬社中です。
この時期、この会では役員会と総会が開催され、龍馬の墓参りをすることが通例となっています。例年と少し異なるのは、1年前に組織変更が行われ、任意団体から一般社団法人全国龍馬社中(代表理事:橋本邦健、主たる事務所:高知市浦戸城山830番地高知県立坂本龍馬記念館内)へと法人化したことです。
全国各地にある龍馬会が所属し、毎年開催される「龍馬World」を運営する他、龍馬ファンの拡大や次代への龍馬精神の承継に力を注いでいます。
筆者は、龍馬と中岡慎太郎のお墓から望む京都市街を墓参りの間に何気なく眺めていました。すると、薄明光線(雲の隙間から太陽の光が差し込み光線のように見える現象)を目にしました。
ふと、風雲急を告げる国際情勢に龍馬だったらいったい何を思うのか、考えずにはいられませんでした。龍馬は行動の人。きっと龍馬なら現代の私たちに、「行動せんといかんぜよ」と檄を飛ばすはずです。
実は今年は龍馬脱藩160年目の節目の年となります。
広い世界を求めて、1862年(文久2年)3月に龍馬は土佐藩を脱藩します。その脱藩のわずか2カ月前に、久坂玄瑞に会うため長州萩を訪れています。目的は、土佐勤王党の盟主である武市半平太の手紙を久坂に渡すためだと言われています。
久坂は言わずと知れた長州藩の若きリーダー。高杉晋作と並び松下村塾の双璧だった人物で、松陰からは「防長年少第一流の人物」と高い評価を受けています。
龍馬は久坂の「大義のためなら藩が潰れても構わない」という主張に感銘し、日本の危機を憂える仲間がいることを心強く思いました。それからたった2カ月で土佐を脱藩したのです。