こちらの回答者は作家の高橋源一郎である。かれは、先日の大学共通テストの日に刺傷事件をおこした高校生のことにふれて、あなた(相談者)はどう思ったか、と聞いている。「超進学校に入学できただけでもすごいのに、なんて贅沢な悩みなんだ」と思った人が多いんじゃないだろうか。「でも、わたしには、逮捕された高校生の気持ちも、ちょっとわかるのです。わたしも超進学校の生徒だったから」

 知らんがな、といいたいところだが、高橋は、頭がひとつのことで凝り固まることの弊害を正しく指摘している。「それまでは『神童』ともてはやされたのに、そこでは『劣等生』。そんなバカな。苦しい。つらい。恥ずかしい。それしか考えられなくなる。(中略)誰もがみんな、自分の周りの『狭い世界』に閉じ込められて、そのことに気づかない」。つまりそんな世界から脱け出せなくなるのだ。

「自分」から抜け出す方法は

 相談者に対してもこういっている。「あなたも同じですね。家と家族、周りの小さな世界、その檻の中をぐるぐる回っている。苦しみの声をあげながら」。しかし、ここで高橋の必殺技が出るのである。「わかります。だって、わたしも同じだったから」。これは共感を得やすい。じつはわたしもあなたとおなじでしたよ。これは高橋の誠実でもあろう。

 しかし相談者はこう思わないだろうか。あなたはわたしと絶対におなじではないと。

 それでもそんな自分から出る方法はひとつしかない。「わたしが檻から脱出できたのは、もっと『広い世界』を見たくなったからです。光あふれる豊かな世界が、きっと『外』にはある。そんな世界を探そう。そう思って家を出たのです。あなたと同じ18歳の時でした」。

 まあ、そうなんだけど、「光あふれる豊かな世界が、きっと『外』にはある」というのが、いまひとつ信用できない。

「死にたい」とかいっている迷惑な連中にはなにをいっても無駄である。しかし、「21歳・女性」や「18歳・女性」には、そんな「光あふれる豊かな世界」に遭遇することを祈りたい。ゆくゆくは、自分の人生においてほんとうに価値あることはなにか、を考えてもらいたい。そのとき「大学のレベル」など大したことがないことがわかるだろう。わからなければ、それだけの人生を生きるしかない。