この相談に対する回答者は漫画家のヤマザキマリである。ちょっと強めではあるが、まっとうなことをいっているように思われる。

「目的を達成できなかった自分に苦しんでいるのは、あなたが信じたい結果以外の可能性を憶測するという面倒を怠ってきたからです。人生に楽観的な予定ばかり立てるな、とは言いませんが、想定外のてんまつにはいくらでもなる、という可能性は常に考えておくべきです」

 しかしこの「21歳・女性」が問題なのは、「自分は無能」ということに捕らわれていることだと思う。そんな「自分を好きになりたい」と思って、いろいろやったがだめ。つまりなにをやっても、「無能」が止まらない、ということか。

 頭の中が「自分は無能」でいっぱいになってるのだから、それはなにをやってもだめである。それに一々大袈裟である。「新しいことにたくさん挑戦」といっているが、どんな「挑戦」かがわからない。ただの高望み(?)の「挑戦」かもしれない。

 そんなことより「自分」から離れることである。自分は〇〇と決めずに、なにをやっているときが楽しいか、そういうものを見つけたほうがいい。無我夢中になれるものなら、なおいい。そういうものがないんですよ、というかもしれないが、それは知らない。自分で見つけるしかない。自分なんか好きにならなくてもいいのだ。そんなつまらんことを考えるより、自分の好きなものを探すことのほうが先決問題である。

ひとつのことで凝り固まってしまうと

 ところが翌日(23日)の「人生相談」にもおなじような相談が寄せられていて驚いたのである。こういうのはよほど多いのか。「双子の兄と差がついた」という見出しの「18歳・女性」からの相談である。これも全文読んでみる。

「男女の双子に生まれて18年。兄と私、ともに進学先が決まった今、人生最大の劣等感に襲われています。努力している兄と逃げてばかりの私。大学のレベルにも大差がついてしまいました。家族には気にしていないふりをしていますが、正直つらいです。そんな自分が嫌で、いっそのこと人生からも逃げてしまいたくなります」

 この「18歳・女性」もまた、「逃げてばかりの私」、そんな「自分が嫌」と、自分牢獄に落ち込んでいる。もう自分のことで頭がいっぱいで、家族からどう思われている? とか独り相撲をとっていて堂々巡りばかりしている。考えれば考えるほど雁字搦めになってしまう。ほんとに家族は「気にしていない」かもしれないし、「気にして」いてもいいではないかと思うが、「逃げてばかりの私」に煮詰まっている本人にはそうは思えない。