深化組事件では、北朝鮮に粛正の嵐が吹き荒れた(写真:AP/アフロ)

 結婚は判断力の欠如、離婚は忍耐力の欠如、再婚は記憶力の欠如という言葉がある。しかし、北朝鮮には政治権力に起因する離婚と再婚がある。北朝鮮では、現代版中世式連座制と呼ばれる「深化組」事件で、老若男女を問わない無差別な粛清、処刑、拷問を行い、世界でも類例がない離婚と再婚の黒歴史を生み出した。「深化組」事件がどのような離婚と再婚の悲劇を作り出したのか。

(過去分は以下をご覧ください)
◎「北朝鮮25時」 (https://jbpress.ismedia.jp/search?fulltext=%E9%83%AD+%E6%96%87%E5%AE%8C%EF%BC%9A)

(郭 文完:大韓フィルム映画製作社代表)

 北朝鮮では「深化組事件」に伴って少なくない人々が離婚した。深化組事件とは、1997年から2000年まで行われた大規模な粛清である。

「深化組」は、党幹部の経歴と思想を深く調査することを意味している。北朝鮮経済が崩壊し、金日成主席の突然の死を巡り、革命第1世代に不満や反感が広がると、困惑した金正日は、義弟の張成沢(チャン・ソンテク)に、革命第1世代の大々的な調査を行うように指示を出した。

深化組事件を指示した金正日総書記。写真は2002年のロシア訪問時のもの(写真:AP/アフロ)

 革命第1世代の経歴と思想調査は、張成沢氏の腹心だった社会安全省(警察庁)政治部長の蔡文徳(チェ・ムンドク)が主導した。社会安全省住民登録局に「深化組」が設置され、3年にわたって党機関の大規模な検閲や、党幹部の逮捕と拷問、粛清と処刑が行われた。

 例えば、張成沢の政敵で、北朝鮮政権のナンバー2だった党本部責任書記の文聖述(ムン・ソンスル)は逮捕後、取り調べ中に獄死した。朝鮮戦争の混乱の中、金日成主席の祖先の遺骨を中国に避難させ、平壌修復後にふたたび安置した、金日成一族の恩人ともいえるキム・マングムも、埋葬されていた墓を掘り返し、死後処刑に処せられた。地獄と恐怖に包まれた「粛清」だった。