北朝鮮の老若男女すべてが人生の座右の銘にしているとされる詩がある。朝鮮労働党を母に喩えて賛美した『お母さん』という詩だ。
作者は「朝鮮のプーシキン(アレクサンドル・プーシキン)」と呼ばれている詩人のキム・チョルだ。詩は人間の心を情緒的に表現する「神からの贈り物」だという考えから、キム・チョルは政治宣伝の道具になってはならないと主張していた。そのキム・チョルが、なぜ朝鮮労働党を褒め称える詩を書いたのだろうか。
(過去分は以下をご覧ください)
◎「北朝鮮25時」 (https://jbpress.ismedia.jp/search?fulltext=%E9%83%AD+%E6%96%87%E5%AE%8C%EF%BC%9A)
(郭 文完:大韓フィルム映画製作社代表)
キム・チョルは1933年、咸鏡北道金策市(ハムギョンプクト・キムチェクシ)で生まれた。北朝鮮の現代史に巻き込まれ、挫折を経験した曲折が多い天才詩人である。
1950年6月25日、朝鮮戦争が起きると義勇軍として入隊し、翌1951年、朝鮮労働党に入党した。戦争が終わると専門作家学院で文学を学び、『もう書けない詩』で北朝鮮文壇にデビューした。彼の作品には、朝鮮戦争の悲惨さを歌った『軍服ボタン』という短詩もある。
砲煙に 焦げたコートを羽織って眠る 赤ちゃんを
胸に抱いた兵士
眠りから覚めた赤ちゃんの 母親の懐を手探りするように
軍服ボタンを乳房代わりに
軍服を着た男 ママにはなれないか
この詩を目にした北朝鮮当局はキム・チョルの戦争に対する見方を問題視した。
朝鮮戦争で勝利したと自負している北朝鮮にとって、朝鮮戦争を歌った詩は戦争の悲惨さよりも戦勝の喜びが感じられるべきものだ。だが、キム・チョルの詩には厭戦気分が色濃く感じられるため、容認できないと出版が禁じられたのだ。
すると、キム・チョルは、この程度の個性さえ制限されるならもう詩を書かないといってペンを折った。そして、ロシアの血を引く女性と恋に落ちたキム・チョルは、北朝鮮の作家同盟から女性と朝鮮労働党党員証のいずれかを選ぶよう二者択一を迫られ「愛」を選ぶ。
その後、朝鮮労働党員の資格を失ったキム・チョルは詩人の職も失い、地下坑道に流れ着いた。ペンを置き、重いハンマーを持つことになったのだ。