2000年初頭、北朝鮮の秘密警察、国家安全保衛部(保衛部)の警備隊員が在北朝鮮ロシア大使館に駆け込み、政治亡命を求めた事件があった。亡命を求めたチェ氏は、国家安全保衛部1局に所属する平壌のロシア大使館を警護する隊員だった。彼はなぜ平壌で亡命を試みたのか。
(過去分は以下をご覧ください)
◎「北朝鮮25時」(https://jbpress.ismedia.jp/search?fulltext=%E9%83%AD+%E6%96%87%E5%AE%8C%EF%BC%9A)
(郭 文完:大韓フィルム映画製作社代表)
チェ氏は、咸鏡北道清津(ハムギョンプクト・チョンジン)出身で、出身階級がよかったことから外国大使館を守る国家安全保衛部1局の警備部隊に配属された。亡命を試みた当時は軍服務8年目で、あと2年で除隊になる古参だった。
入隊した当時には、10年にわたる軍服務は気の遠くなる長さだと感じたが、いつの間に8年経ったのかが分からないほど、ロシア大使館の警備は楽な業務だった。
北挑戦ロシア大使館の警備は1日3回、2時間ずつ歩哨に立つだけ。一般軍人のような重武装もなく、拳銃一丁を携行すればいい。しかも、対外的権威と威信がかかっていたため、北朝鮮政府は数少ない平壌の外国大使館を守る警備部隊に対しては最上級の補給品と食料を支給した。
それゆえに、外国大使館を警備する部隊は、競争倍率が10万倍になるほどの人気を誇った。とりわけ、高位高官の子供は金日成、金正日、金正恩を守る護衛司令部より、外国大使館警備部隊を希望した。
そういった事情もあり、チェ氏が所属したロシア大使館を守る部隊は、平壌在住の特別階級の幹部の子供が95%を占めており、チェ氏のような地方幹部の子供は少数派だった。
チェ氏には、それが不満だった。現場の指揮官は平壌幹部の子弟ばかりを優遇し、チェ氏のような古参の幹部を差別していたからだ。そして、その差別は次第に度を越し、朝鮮労働党の入党にも影響を及ぼすようになった。