出会いは「小田原城攻め」
佐野昌綱は戦国時代、下野国安蘇郡佐野庄(現・栃木県佐野市)に代々本拠を置く佐野氏の一族として生まれました。1559年に家督を継ぎ、佐野氏の第15代当主となります。
昌綱と上杉謙信の最初の出会いは、1560年より行われた、かの有名な謙信の「小田原城攻め」でした。
この年、関東管領であった上杉憲政(うえすぎ・のりまさ、1523~1579年)の要請を受けた謙信は、小田原城を本拠とする北条氏打倒を目的に兵を挙げ、関東地方へ遠征にやって来ました。この遠征に先駆けて、謙信は関東管領の代行者という立場で、関東にいる諸将に対し自らの下へ参集するよう呼びかけました。この呼びかけに昌綱も応じ、謙信とともに小田原城攻めに参加したと言われます。
最初の裏切り
しかしこの時の小田原城攻めは失敗に終わり、武田信玄に背後を脅かされた謙信も本拠地の越後(現・新潟県)へ軍を引き返してしまいます。