(姫田 小夏:ジャーナリスト)

 米軍を20年間も翻弄し続けたイスラム主義組織タリバンの必勝法、それが“毛沢東の兵法”にあったことは前回述べた(「『参謀』は毛沢東、タリバンが米国に勝った本当の理由」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67060)。タリバンは毛沢東の『持久戦論』を熟読し、山岳部でゲリラ戦を展開。農村部を占領しつつ2021年8月末にアフガニスタンの首都カブールを実効支配するに至る。その動きは、毛沢東が提唱した「農村から都市部を包囲する」という戦術と合致する。

 一説によれば、タリバンは1990年代から毛沢東思想を研究していたともいわれている。中国のあるネット記事によると、「90年代、タリバンは西側メディアの取材に対し、『毛沢東選集』は最も啓発を与える書だと答えている」という。

60年代に伝えられた毛沢東思想

 1949年、毛沢東は中国革命を勝利に導き、中華人民共和国の建国を宣言する。以来、中国は、積極的な外交を展開する。中国外交部の資料によれば、1956年までに25カ国と国交を樹立したという。アジアではモンゴルとの国交樹立(1949年)を皮切りに、50年にインド、ビルマ、ベトナム、51年にパキスタン、55年にアフガニスタン、ネパールと国交を結んだ。

 50年代当時、アジア各国では独立の機運が高まるとともに、東西冷戦の中でさまざまなイデオロギーが渦巻いていた。駐ネパール大使だった西澤憲一郎氏の著書『ネパールの歴史』(1985年、勁草書房)にはその頃の様子が次のように描かれている。「アジアではこの時代にほとんどすべての旧植民地が独立したが、その中では中国共産主義政権の成立とインドの独立が最も影響が大きく、前者は共産主義のチャンピオンとして、後者は議会制民主主義のチャンピオンとして互いに拮抗しながら、帝国主義勢力の巻き返しに対しては連帯して反対するという関係に立ったのである」。