1961年に発売された「パブリカ」。コストを抑えるためにサイドミラーが標準でないなど、内外装があまりに質素だった(Mytho88, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ)

安価な「大衆車」が求められていた1961年、トヨタは満を持して「パブリカ」を発売するが、販売実績は期待はずれの結果に。急速な高度経済成長という事業環境の変化についていけなかったことが失敗の要因だった。ただ、そのあとトヨタは失敗の学びから、より確度の高い渾身の一手をすぐに打ったことで、その後、販売台数世界一となる車種を生んだのだ。(JBpress)

※本稿は『世界「失敗」製品図鑑 「攻めた失敗」20例でわかる成功への近道』(荒木博行著、日経BP)より一部抜粋・再編集したものです。

 本書『世界「失敗」製品図鑑』のテーマは、新製品や新サービス、もしくは新規事業の「失敗」です。2年前に出版した前書『世界「倒産」図鑑』との大きな違いは、倒産のような定義が明確な事象ではなく、失敗というちょっと曖昧な言葉が中心になっていることです。

 何よりも本書を通じて受け取っていただきたいメッセージは、「失敗は必ずしも避けるべきことではない」ということです。もちろん、過去の先人たちと同じ失敗を繰り返すことは回避すべきでしょう。しかし、新しいことにチャレンジする以上、失敗はついてきます。「チャレンジ」と「失敗」はセットメニューであり、単品注文はできないのです。

 実際に本書を読んでいただければわかる通り、取り上げた著名な企業たちは、手痛い失敗を経験しながらも、その失敗を教訓に変えて今日の成功へとつなげていっています。だからこそ、過去の失敗から学びつつ、過度に失敗を恐れずにチャレンジしてほしい。これこそが、本書の最大のメッセージです。

国民車構想はいったん断念したが

 1961年6月、トヨタ自動車工業(当時)から「パブリカ」という新車が発売されました。その価格は38万9000円という当時にしては破格の安値。まだ自動車が高級品だった時代において、機能性と経済性を両立させた「大衆車」となり得る一台として、この新商品には大いに注目が集まりました。

 このパブリカ開発の時代背景を知るためには、1955年5月に明らかになった通商産業省(当時)による「国民車構想」を理解する必要があります。1950年代当時、自動車業界には目の前に迫りつつある自動車輸入の自由化というイシューがありました。その自由化の前に、通産省はまだ弱小であった日本の自動車産業の生き残りを賭けて、国産車の早急な性能向上と国民への普及を目指していました。

 しかし、当時の大卒初任給は平均1万5700円という中において、1955年に発売されたトヨタのクラウンは98万円、1957年のコロナは60万円台。とても一般大衆が手を出せるような金額ではありません。

 普及ということを優先的に考えれば、とにかく安価にしなくてはならない。そこで、通産省は条件を満たす自動車を各メーカーから募ります。試験を通じて量産に適した1車種を選定し、財政資金を投入して国際競争力を持つ車を国策として育成していくという「国民車構想」を企画するのです。